令和7年度 説明会・土曜公開授業
 〇令和7年度 土曜公開授業+ミニ学校説明会
<全8回>
5月24日6月21日9月27日10月25日11月8日、11月22日、1月10日、2月7日
 
New 11月22日:申込受付開始しました。
 詳しい時程と申込みはこちらから。
 

〇本校生徒保護者向けの土曜公開授業は、保護者ページを御覧ください。

 

〇令和7年度 教育活動説明会

・今年度は全て終了しました。

 

説明会等のお問い合わせは、広報担当 urakou-kouhou@spec.ed.jp にお送りください。

〇学校説明動画
過去に実施した第1回教育活動説明会の内容となります。
こちらのページから御覧いただけます。
浦高生による小学生のための特別教室

令和7年度 浦高生による小学生のための特別教室

日時:令和7年12月13日(土)

           14:00~16:10

※校外の活動や同日の夕方開催、別日開催となる講座があります。

◆当日の時程等、詳しい内容はこちらから

申込受付は終了しました。   

新着
部活動結果(令和5年度以降 関東大会以上)

〈令和7年度〉

全国大会出場 囲碁将棋部、カヌー部、ローイング部、陸上競技部、オリエンテーリング部、弓道部

関東大会出場 カヌー部、ローイング部、陸上競技部、山岳部、グリークラブ、弓道部

〈令和6年度〉

全国大会出場 室内楽部、水泳部、囲碁将棋部、弓道部、カヌー部、放送部、ボート部、オリエンテーリング部

関東大会出場 ラグビー部、カヌー部、ボート部、剣道部、陸上競技部、山岳部、水泳部、グリークラブ、囲碁将棋部

〈令和5年度〉

全国大会出場 囲碁将棋部、オリエンテーリング部、カヌー部、弓道部

関東大会出場 弓道部、剣道部、カヌー部、ボート部、山岳部、吹奏楽部、グリークラブ、文芸部(競技かるた)、陸上競技部、囲碁将棋部

 

 

詳しくは、各部活動のページをご覧ください。

130周年記念式典記録

 令和7年10月3日(金)、全校生徒約1,080名と教職員の参加の下、本校体育館にて浦和中学・浦和高校創立130周年記念式典が挙行された。

 当日は45分の短縮授業とし、その7限にあたる14:45から15:30までの45分間が式典にあてられた。

式典は、

1)校長式辞 

2)生徒代表のことば

3)応援団演舞および校歌斉唱(演奏 吹奏楽部)

の内容で執り行なわれた。

 

<校長式辞>(臼倉克典校長)

(要旨)

 明治28年(1895年)に埼玉県第一尋常中学校として開校して以来、浦中・浦高は現在までに36,881名の卒業生を出し、今年創立130周年を迎えた。その130年間の様々な節目で、歓迎マラソン、臨海学校、古河強歩大会に代表される諸行事や各種事業が生まれてきた。

 平成7年度の100周年においては、記念式典とともに、ウィットギフト校との交換留学制度の調印や熊谷高校との100年対決が行われた。次の110周年では、浦高百年の森事業が始まり、また120周年では同窓会奨学財団が創設されるなど、現在まで引き継がれる事業が開始されてきた。

 そして本年度、令和7年度の130周年については、コロナ禍を経た昨今の情勢を踏まえ、簡素化した形で式典を実施することとした。他に130周年の記録集を作成する予定であり、同窓会では130周年記念事業としてネット上にプラットフォームを作って魅力発信や交流の場とすることが計画されている。

 浦高の同窓会である麗和会は、浦高生の卒業後の人脈のプラットフォームとして重要である。30を越える地域・職域の麗和会も結成されていて、関西、九州、宇宙麗和会まで存在する。そのような同窓会組織は他に例を見ないだろう。近県の公立伝統校の校長と交流する中でも、浦高だけはどこにも存在しない独立峰であるという思いを強く感じる。浦高は大学進学をゴールにしていない。若者の魂を鍛えるために、どこの高校にもないものを、浦高は持っている。皆さんはそういう学校にいるのだということを自覚し、今の生活に全力で励み、そして真の「浦高生」になっていってほしい。これから先、人生の大切な場面に立った時には、130年の歴史の力がきっと君らを後押ししてくれるはずだ。

 

 <生徒代表のことば> 中山生徒会長(3年) 

(要旨)

 私たちが誇りをもって歌う校歌は、明治39年(1906年)浦和中学時代に作られた。歌詞に出てくる鹿島台はその浦中があった場所である。校歌や行事、あるいは浦高そのものに、130年の歴史が刻まれている。

 昭和11年(1936年)2・26事件が発生している激動の時代には、古河マラソンのもとの耐久レースが行われた。耐久レースはその後7年間続けられ、最後の大会では浦和から出発して7時間で栃木県の雀宮へ到達するという最高記録も誕生した。

浦高の校舎は、昭和12年(1937年)に領家に移転し、戦後の昭和23年(1948年)に新制の高校へとなり、現在に至っている。

 130年の歴史の上で私たちが経験している浦高生活は、多くの人の支えによって存在しているが、それは、例えば、3年連続雨天の体育祭、1万人を越える来場者のある文化祭等であり、今までの浦高に引けを取らない時代を私たちは作り上げていると言える。

 私たちは、浦高への感謝と誇りを新たにし、今現在をとことん追及しながら、未来に向かって、この素晴しい学校生活を生徒全員で紡いでいこうではないか。

 

<応援団による演舞披露>(演奏は吹奏楽)

 20余名の応援団が壇上に上がると、ステージ向かって左手に応援団旗が掲揚され、演舞が開始された。

 最初に「八重雲起る」である。

 「八重雲起る」は昭和55年復活した応援歌で、それまでの浦高の応援歌は現在の第二応援歌であったことが団員より説明された。

 応援団によるリードと吹奏楽部の演奏の下、浦高生たちはステージに周辺に集まり、肩を組みながら、「八重雲起る」を熱唱した。

 次に「銀杏乱舞」。

 「銀杏乱舞」は43期応援団により作成され、代々リーダー長のみが継承する演舞である。

今回は87期リーダー長 森田泰成君(2年)と86期リーダー長、須川尊君(3年)の両名により「ダブルメイン」の「銀杏乱舞」が行われた。

 最後に校歌斉唱 

 87期団長、齋悠生君(2年)と86期団長、陳宏宇君(3年)の両名のリードで校歌斉唱が行われる。

 再び浦高生全員が肩を組み、応援団員のリードと吹奏楽部の演奏の下、明治39年に生まれた100年有余の歴史ある校歌を全員で熱唱した。浦高生の誇りに満ちた熱い一時が生み出されたのであった。