鉄道研究会
活動時間
不定期

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こんにちは。鉄道研究会です。通常の活動は、ブログにて動画・レポートを製作します。各個人が、自分で提出期限を決めて主体的に活動しています。

特別な活動については、体育祭、模型大会、旅行、文化祭、古河マラの特訓、クイズ大会があります現在は、部に昇格するために日々精進しております。
公式HP以外にも、日常の活動を紹介したHPがあります。浦高鉄道研究室で検索ください。
ツイッターは、2つあります。どちらも埼玉県立浦和高等学校鉄道研究会で検索ください。


文化祭でSGHで派遣されたイギリスとフランスの鉄道の紹介をいたします。ご期待ください。



主な活動実績
日誌

鉄道研究会 活動報告

鉄道研究会 鉄道教室開催

4月4日(木)に、鉄道研究会の有志でさいたま市浦和区にある子ども家庭総合センター『あいぱれっと』にて、鉄道教室を行ってきました。
  

「浦高生と鉄道について語ろう」と題し、浦高生が鉄道に関する小学生向けの教室を行った後、Nゲージやプラレール、生徒の作成したジオラマなどを囲みながら、集まった小学生たちと熱く鉄道について語らいました。
鉄道研究会の生徒も、緊張しながらも、好奇心旺盛に質問してくる小学生に対し、楽しそうに答えていました。
 
今回、鉄道研究会に御依頼下さいましたあいぱれっとのスタッフの皆様、参加した小学生及び保護者の皆様、ありがとうございました。

鉄道研究会 小学生向け講座のお知らせ

2019年4月4日(木)13:00より、さいたま市子ども家庭総合センターにて、小学生向け教室『浦高生と鉄道について語ろう』を開催いたします。
先着30名となっており、基本的には小学生向けの講座となりますが、鉄道について聞いてみたい方も是非ご参加ください。

詳細や申込については、さいたま市子ども家庭総合センター「あいぱれっと」にお問い合わせください。(電話番号048-829-7043)

電車 鉄道研究会 SGH 部活動派遣 6日目

こんにちは、鉄道研究会です。

研修6日目になりました。
昨日は、ヨークの鉄道博物館をにて、現在の鉄道の方向性を示唆する展示を見学しました。いよいよ今日はその実地研修です。
イギリスをEUとして心理的な距離を近づけたものがあります。それは、70年代に下地としてあったのかもしれません。当時はまだ、高速旅客といえば飛行機の時代、コンコルドでした。

さて、高速鉄道の未来の形、それは何だと思いますか?

それは・・・
 
第6弾 大陸を結ぶ高速鉄道。

《episode6》
イギリスとヨーロッパが陸続きとなり、Londonセントパンクラス駅とParis北駅間が、2時間半で結ばれています  国際列車で国境を越える体験をしました。
8:19発のユーロスターに乗るためにはCheck inは30分前に済ませておかねばなりません。乗車日3月29日は、サマータイムに切り替わる初日。午前1時が午前2時に時を進ませます。さらに休日のため、早朝のチューブの本数が少なく、5時半朝食、6:20には全ての荷物を持って宿を出発。いつもより睡眠時間が一時間少ないタフな行動の1日が、始まりました。

鉄道研究会 SGH 部活動派遣 5日目

こんにちは、鉄道研究会です。

部活動派遣も順調に進んでおります。

5日目の活動を紹介します。

研修の第5弾を行いました。

イギリスの文化には、歴史を大切にする文化、合理性を追求する文化、ボランティアの精神があります。その3つが結びつくと一体どんなことが起きるのでしょうか?

我々は、その文化を体験、検証しました。
それは・・・

《episode5》
保存鉄道の旅
SLは、合理化のため、廃止され、スクラップにされていきました。また、採算の取れない路線もどんどん廃止されていきました。そのような合理性を尊ぶ文化の中で、歴史を大切にする文化とボランティアの文化が結び付いた結果が保存鉄道なのでしょう。
動態でSLが残され、今も乗車し、その旅を味わうことが出来るなんて素晴らしいことだと思いませんか。
私達は、SLの旅をするとともに、終着駅で、機関車の運転台を見学しました。寒さを感じさせない釜の熱さを感じました。また、イギリスの石炭は無煙炭なので、煙の白さも実感しました。

鉄道研究会 SGH 部活動派遣 4日目

こんにちは、鉄道研究会です。

4日目の活動を紹介します。

エディンバラからヨークへ。

研修の第3弾は、ヨークの鉄道博物館見学
 イギリスは、鉄道文化発祥の地です。本家ではどのような展示がどの様になされているのか、とても関心がありました。アメリカで言えば野球の天堂にどのような人物が選ばれメモリーされるのか興味を持つのと同じ感覚です。

SLと客車だけでなく、駅の調度品に至るまでしっかりと収蔵され管理展示されてありました。車両の展示の仕方を見て、大宮にある鉄道博物館が、ヨークの鉄道博物館を手本にしていることを実感しました。

鉄道発祥の地の博物館で出会った「懐かしいもの」に驚きました。
一体なんだと思いますか?

それは・・・

《episode4》
新幹線の展示コーナーがありました。0系です。
お父さん世代がご存知のひかり号です。日本の新幹線がなぜここにあるのでしょう。
展示コーナーの英文の解説板を読んでみると高速鉄道の先鞭をつけたことを高く評価していました。展示スペースも広く、評価の高さを感じ、日本人として嬉しく思いました。
車両の中に入れるようになっていたので、くつろぐと日本に戻った感覚にとらわれます。奇しくも、ウィットギフト校で発表したメーカーと同じ、日立製作所の新幹線でした。

出会い を感じた1日でした。

電車 鉄道研究会 SGH 部活動派遣 3日目〜4日目

こんにちは、鉄道研究会です。

部活動短期派遣3日目〜4日目
3月26日〜27日について報告します。

3日目は、3班に別れてロンドン市内を観光しました。
そして、ユーストン駅に集合です。

鉄道研究会の研修第2弾を行いました。

鉄道旅行の醍醐味とはなんでしょう?
それは・・・


寝台列車の旅

ユーストン駅からエディンバラ駅へ、夜行列車の旅を実地調査しました。

《episode3》
エディンバラに早朝に到着。スコットランドの街並みは、Londonと違った味わいがあります。路地裏の看板にWYNDの文字。散策している中で、言葉の違いは文化の違いであり、イギリスは、4つの連合国であることを再認識しました。

次の目的地へ向かう列車を待っていると、サプライズな出来事がありました。
エディンバラ大学に通う卒業生が、駅まで私達を訪ねてくれました。ウィットギフト校の留学生からの情報で、この時間帯に駅に行けば会えるのではないかと見当をつけて駅にやってきたとの弁。スコットランドの文化に囲まれた環境で、学びたいと思った現役生徒にアドバイスを頂きました。同窓生の絆と、世界のどこかを支える人材の雛たちの存在を感じました。

電車 鉄道研究会 SGH 部活動派遣 第2日

こんにちは、鉄道研究会です。

3月25日本日はウィットギフト校を訪問します。生徒たちは、7時10分にロビーに集合です。朝食は、朝の5時半に取りました。

南クロイドンヘ。


ソフィー先生と長期派遣生の原田君の案内で駅から学校まで向かいます。

ウィットギフト校は、関ヶ原の戦いより古く創立された学校です。中に動物園もあり、フラミンゴからワラビーまでいます。


校舎内を日本語学科のウィットギフト生とペアを組み、それぞれの生徒たちは、交流を深めました。その後、保存鉄道の創始期のひとつBLUEBELL保存鉄道の方から講義を受け、更に日本語学科のソフィー先生の授業を体験しました。


昼食後は、ウィットギフト生に英語で研究した成果をパワーポイントを使い発表しました。


生徒達もこの発表を通して大きく成長した事でしょう。
その後歓談を経て、レゴブロックや、コンピューターによるHOゲージの制御などを行っている研究室を訪問し、さらに交流を深めました。


体調を崩す生徒もなく、2日目も順調でプログラムは進んでいます。

ちょっとしたエピソードに続く
《episode1》

宿から駅が近いため、朝5時半〜好きな時間に朝食を取り、旅の記念に切符を買いに行く生徒もおりました。自販機に釣り銭の硬貨がないため購入出来ず、駅員さんとコミュニケーション。オイスターカードを持っているのに何故使わないのか?と不信に思われるなか、切符を集める文化をmemorialという言葉で一生懸命説明し、駅員さんから釣り銭が貯まる頃にまた来なさい、と交流が深まる一コマもありました。

《episode2》

繁殖期が近付いてきた放し飼いのクジャクが、私たちをディスプレーで歓迎してくれました。長期派遣生の原田君の話では、ちょうど試験の時期に繁殖期が重なる為、テストの時に聞く鳴き声で、集中力が乱されることもあるとか。ウィットギフト校の中で自然繁殖し二世もそだっているとのことでした。

鉄道研究会 SGH 部活動派遣 第1日

こんにちは、鉄道研究会です。
ここでは、派遣中の生徒の様子を報告していきます。

羽田空港に9時に集合です。

機内では2回食事がでました。
3月24日羽田を出発し、無事ヒースロー空港に到着しました。テムズ川の河畔にロンドンアイが見えます。
さっそく、ヒースローエクスプレスの乗り場へ、ロンドンの宿に向かいます。

車内では、無料のWiFiが通じているのが印象的です。各車両の座席配置や、照明のLED化、車輌の扉の開閉ボタンなど、生徒たちは文化の差を、さっそく感じているようでした。

パディントン駅到着、車輌の種類の豊富さに・・・行程の途中ですが、鉄研と写真部の魂に火がつき活動開始、荷物を交代で番しながら、車輌をカメラに納めていきました。

パディントン駅から宿には、地下鉄を使い、移動します。
イギリスの鉄道運賃は、切符とプリペイドカードの差がとても大きいので、オイスターカード(PASMOやSuicaのようなもの)を購入しました。
派遣生徒の海外体験を重視しますので、教員は一歩ひいた立場で見守ります。
早速、語学力を試したい生徒は、対人売り場へ、自販機を試したい者は自販機へ列びました。

体調を崩す生徒もなく順調な滑り出しとなりました。明日のウィットギフト校で研究成果を発表します。

電車 鉄道研究会 第1班 日本の高速鉄道輸出

日立の高速鉄道輸出に見る日本のものづくりの今後

埼玉県立浦和高等学校鉄道研究会 1

はじめに

鉄道車両の寿命は一般に30年から40年とされており、いつの日か経年による世代交代が発生する。つまり、たとえ新規の路線建設がなかったとしても、鉄道車両には一定の需要がある。

鉄道車両を製造するメーカーにしてみれば、まとまった数の車両を製造して収益性を上げたいという事情もあろう。しかし、人口減少が予想される日本において、当面の新規路線建設の予定はなく、需要増の兆しは皆無に等しい状況にある。それゆえ国内各社はこぞって需要が旺盛な海外への展開を模索するが、未だにシェアは日本の各社を総合してでさえ10パーセントにも届かない極めて厳しい状況が続いているのが現状である。

ところが、2005年にとある日本の企業が、その均衡を破って鉄道発祥の地・イギリスへの車両輸出を成し遂げた。その名は日立製作所。世界の名だたる鉄道メーカーを押しのけて、お膝元であるヨーロッパでの受注を成し遂げたことで、日立の名声は一気に高まったのはいうまでもない。

そしてついに今年、英国都市間高速鉄道計画向け車両497両の納入、続いて27年半に渡る保守事業の正式契約を締結。これをもって、日立のイギリスでの地位は確固たるものになった。

ではなぜ、日立はこれほどの偉業を達成するまでに至ったのであろうか。私たちの最終的な狙いは、「日立の高速鉄道輸出を通して、今後の鉄道輸出、ひいては日本製品輸出全体の方向性を見いだすこと」にある。そのためにまず、ものづくりに焦点を合わせて、世界と日本の鉄道車両輸出の情勢に触れる。次に、売り込みの分野から企業間・官民の結束が及ぼす効果について検証する。


Ⅱ 国際競争力の強化

日本の鉄道車両製造会社の海外進出が遅れているのとは対照的に、ボンバルディア・アルストム・シーメンスの3社はかねてから「ビッグ3」とよばれ、世界シェアの多くを占めてきた。

ボンバルディアはカナダの企業で、航空から鉄道、スノーモービルに至るまで幅広い輸送機械を手がけるメーカーである。同社が鉄道車両の製造に乗り出したのは1974年と他社に比べて比較的に遅いが、相次ぐ買収によって品揃えを格段に拡充してきた。それは車両のみにとどまらず、車体に付随する電送システムや台車、信号システムといったものにまで至り、同社単体で完全な鉄道システムを供給できる態勢が整えられている。

同じくあとの2社も、鉄道システムを一括して納入できる技術を持ちうる。これは鉄道が新規に開業する場合、予算面や交渉面から大きな強みになる。対して日本では、主要各社はいずれも車両製造のみに徹しており、電装品は東芝、三菱電機などの電機メーカーが、信号設備等は日本信号をはじめとした信号メーカーが製造を担っている。

また日本国内においては、鉄道会社が策定した仕様に車両製造会社が従うという、いわゆる「オーダーメイド」の手法が採られている。それに対して、英国をはじめとする欧州各国においては、車両製造会社が設計した数種類の標準型車両の中から、鉄道会社が自社の需要に合わせたものを選択するという「レディメイド」の手法を採ることが一般的だ。それゆえ、車両製造各社は車両に汎用性を持たせつつ、各地域の条件に合致する性能を持たせた車両を作る必要があると言える。たとえば、シーメンス社の高速電車「ヴェラロ」は、基本設計を同じくしながらも拡幅して定員を増やすことで中国市場に対応した。同じく、ボンバルディア社の電気機関車「TRAXX」は、電気機関車のみならず動力源をディーゼルにして製造することも可能となっている。

日立製作所も「Aトレイン」というコンセプトを打ち出し、部品の共通化やモジュール化によって生産効率を高めてきた。今回イギリスに納入されたCTRLも例外ではなく、電源方式などはイギリスのものに対応させつつも、従来の技術を応用して日本国内で製造された。国内で培われてきた技術をそのままに近い形で応用できたことが、今回の案件において有利に働いたという見方もできよう。

一方で、鉄道システムを一括して納入するノウハウについては、日立といえども現段階では持ち合わせていない。それを憂慮してか、1128日の時点で日立はイタリアのフィンメカニカが持つ鉄道資産の買収に向けて交渉を続けており、弱点である信号設備のノウハウを手に入れることで「ビッグ3」に比肩する態勢を得る模様である。

このことからも、日本のメーカーも今後の海外展開に際しては、車両を標準化して経済性を高めつつ現地で求められている条件を満たすという二律背反のものをつくること、そして鉄道システムを一括で納入できる態勢を整えることの二つが必要であると言えよう。


Ⅲ 企業間結束の充実化

2005年、イギリスの高速鉄道の製造を行った日立は「安全第一」を最優先事項とし、日本の新幹線における安全運行のノウハウを遺憾なく発揮した。その結果、イギリスでの大雪の時には車両故障や運休が多い中、日立の車両は平常通り運行することが出来たのである。このとき生きた技術は、東北新幹線等で採用されている「雪よけカバー」や「水の侵入を極力減らした車両周りの構造」である。このような技術を利用し、日本製の車両はどのような環境でも運行出来るということをアピール出来たからこそ、企業として信頼され、今回の車両の受注につながったと思われる。新幹線の車両はアルミニウム合金で作られているが、日立はこのアルミニウムを用いた製造技術を先駆けて実用化し、アルミ製車両の採用例を画期的に伸ばすことに成功した実績を持つ。

とはいえ、日本の鉄道技術は日立一社のみで蓄積されたものではない。東急車輛(現:総合車両製作所)においては、早い時期からアメリカの企業との技術提携によって、オールステンレス車両のライセンス生産が可能になったことで多くの海外の鉄道会社に車両を輸出していた。総合車両製作所に名称を変更した後も、日本におけるステンレス車両のパイオニアメーカーとして「sustina(サスティナ)」という独自のブランドを制定し、ステンレス車両の海外展開を牽引している。

川崎重工業車両カンパニーは、台湾高速鉄道や中国高速鉄道など、日本の新幹線技術が用いられた車両を製造していたことで有名である。その技術を中国側が国際特許に申請しようとするなど輸出管理がやや杜撰であったとはいえ、日本の新幹線技術を世界に売り込む“きっかけ”になったと言えるであろう。

他にも近畿車輛は、LRT(ライト・レール・トランジット)という低床式路面電車に強みがあり、多くの国や企業に採用実績がある。このように、国内各社はそれぞれ得意分野を有して、輸出を盛んにしようとする動きが見られる。一方、これまでその得意分野を企業間の連携によって共有する動きは盛んではなかったが、ここにきて前述した「ビック3」に対抗するため、JR各社および日立製作所や川崎重工業など鉄道各社によって「国際高速鉄道協会」が平成264月に設立された。こうした企業間での結びつきは、鉄道輸出事業のみならず他分野の輸出事業でも必要であるだろう。

Ⅳ 官民一体体制の構築

このクラス395の案件を足掛かりに、日立は更なる大規模車両置き換え計画である IEP (インターシティ・エクスプレス・プログラム)事業の入札を目指すことになった。この事業において優先交渉権を獲得した日立だったが、リーマンショック後の欧州経済情勢悪化や英国の政権交代によって交渉は長期化した。この状況を打開すべく、総理をはじめ、関係閣僚によるトップセールスや、在英日本大使館による英国政府への働きかけがなされた。

また、多くの欧州系銀行が銀行団から撤退し、資金不足に陥ると、日本政府 100%出資の特殊銀行である国際協力銀行が融資の契約をし、民間金融機関が行う融資に対しては、経済産業省所管の独立行政法人日本貿易保険が保険を引き受けた。こうした官民一体の体制により IEP 事業の受注に成功したが、現地の経済情勢や政治情勢が複雑に絡み合う輸出事業ではその体制が非常に重要であることが分かる。


Ⅴ おわりに

 本論文では、今後より盛んになるであろう日本の鉄道輸出についての道筋を示した。もの作りの分野においては、標準化による高い経済性と現地で求められている条件を両立させること、そして鉄道システムを一括で納入できる態勢を整えることの二つが必要であると分かった。また、売り込みの分野においては、企業間での結びつきが新しい価値を創出する可能性を秘めているということ、加えて官民一体の「オールジャパン態勢」が非常に重要であることが判明した。

アジア諸国の台頭に伴い、特に家電分野において日本製品の競争力は日に日に低下している。「ガラパゴス化」が唱えられる中、日本製品が海外での競争を勝ち抜いてシェアを拡大していくには、もの作り分野においてもいっそうの工夫が必要とされている。また、原子力発電所等のインフラ輸出においても、技術力の優位さを無駄としない売り込みの態勢が求められている。技術力に定評のある日本が輸出で苦戦している状況を打開するものがあるとしたら、それは技術ではなく姿勢であろう。鉄道発祥の地・イギリスにおいて困難とも言える売り込み合戦を制した日立に学ぶことで、日本の輸出事業全体に関わる躍進への鍵が見つかることになれば幸いである。

Ⅵ 参考文献

「総合車両製作所」 <https://www.j-trec.co.jp/>

「東急車輛」

<http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%80%A5%E8%BB%8A%E8%BC%9B %E8%A3%BD%E9%80%A0>

「川崎重工業車両カンパニー海外向け鉄道車両」

<http://www.khi.co.jp/product/railway/world/>

「近畿車輛」 <http://www.kinkisharyo.co.jp/ja/products/sh/sharyoukaigai.html>

「イギリスが評価した高速鉄道」

<http://www3.nhk.or.jp/news/business_tokushu/2014_1114.html>

「英国鉄道プロジェクト日立製作所」 <http://www.works-i.com/pdf/w116-seikou.pdf> 「英国/都市間高速鉄道プロジェクト向け融資に対する保険の引受」

<http://www.jbic.go.jp/ja/information/press/press-2014/0416-20261>

「新幹線輸出、オールジャパン体制始動アジア鉄道争奪戦、世界強豪勢との競争過熱」 <biz-journal.jp/i/2014/11/post_7491_entry.html>


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

電車 鉄道研究会 2班論文 イギリスの鉄道の輸出

イギリスの鉄道輸出に見る各地域における鉄道発展の法則

埼玉県立浦和高等学校鉄道研究会 第2

    

第Ⅰ章 はじめに

19世紀、イギリスは産業革命を経て一気に国力を伸ばし、その生産力と強力な軍事力を以て世界に君臨していた。イギリスが世界の近代化に貢献した役割は大きく、鉄道もまたイギリスで発明されたものであるということは周知の事実である。1825年にストックトン&ダーリントン鉄道が開業して以来、イギリス国内は鉄道建設ブームが起こり、1850年頃には全国に鉄道網がほぼ完成したといわれている。イギリスのみならず、欧米列強の大国を中心に鉄道はどんどん普及していった。一方、当時世界の辺境の地であったアジアやアフリカの国々にも、19世紀後半になると多くの鉄道が敷設された。我が国日本もその1つだが、当然当時の日本には自力で鉄道を造ることは不可能なので欧米から輸入することになり、選ばれたのがイギリスだった。日本の鉄道はイギリスを範として出発し、お雇い外国人の手によって鉄道建設や技術の伝承が行われていった。また当時イギリスが世界各地に保有していた植民地にも、宗主国イギリスによって次々と鉄道が敷設されていった。

本論文は、こうしたイギリスによる鉄道の輸出について、具体的に何処の国・地域に輸出され、それらがそれぞれどう発展していったのかを調査し、世界各地域における鉄道発展の法則性を見出そうとするものである。

その為にまず、イギリスの鉄道が輸出された国を抽出し、その国の地理的状況や社会状況をまとめる(第Ⅱ章)。次に、それぞれの鉄道がどのように発展していったのかをまとめる(第Ⅲ章)。そして、Ⅰ章とⅡ章から鉄道発展の共通点などを見出し、法則を導きまとめる(第Ⅳ章)。最後に、今後鉄道先進国が鉄道を世界に輸出していくにあたってどうあるべきかを考える(第Ⅴ章)。


第Ⅱ章 イギリスの鉄道が輸出された国とその概要

イギリスの鉄道は旧植民地をはじめ、中国や日本に輸出された。本論文ではその中から、地理的に差異のある国を6つ抽出した。ウガンダ、インド、マレーシア、中国、日本、オーストラリアである。それでは、各国の基本情報を書く。

1 ウガンダ

 イギリス植民地→民主共和国

 人口 34,758,809人(2013年)

 民族 ガンダ族(バンツー系)、マサバ族、ソガ族(バンツー系)、ニャンコレ族(NkoleNyankore)、ニョロ族、キガ族、ランゴ族、アチョリ族、カラモジョン族(ナイル系)、テソ族、インド系、アバユダヤ(おもに東部に住むユダヤ教徒)など

 東にケニア、南にタンザニア、南西にルワンダ、西にコンゴ民主共和国、北に南スーダンとの国境に囲まれた内陸国である。首都はカンパラ。

2 インド

 イギリス植民地→民主共和国

 人口 1,210,000,000人(2011年)

 民族 インド・アーリア語族、ドラヴィダ語族、オーストロアジア語族、シナ・チベット語族

 南アジアに位置し、インド亜大陸を占める。パキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、バングラデシュ、ミャンマーとは陸上で、スリランカ、モルディブ、インドネシアとは海上で国境を接する。首都はニューデリー。

3 マレーシア

 イギリス植民地→連邦立憲君主制国家

 人口 29,330,000人(2012年)

 民族 マレー系、華人系など

 東南アジアのマレー半島南部とボルネオ島北部を領域とする。タイ、インドネシア、ブルネイと陸上の国境線で接しており、シンガポール、フィリピンと海を隔てて近接する。首都はクアラルンプール

4 中国

 清王朝→民主共和国→社会主義共和国

 人口 1,341,330,000人(2012年)

 民族 漢族など

 アジア大陸の東部、太平洋の西海岸に位置し、東は朝鮮民主主義人民共和国、北はモンゴル、北東はロシア、北西はカザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、西と南西はアフガニスタン、パキスタン、インド、ネパール、シッキム、ブータン、南はミャンマー、ラオス、ベトナムと接し、東部と東南部は韓国、日本、フィリピン、ブルネイ、マレーシア、インドネシアと海を挟んで接している。首都は北京。

5 日本

 民主主義国家

 人口 126,530,000人(2012年)

 民族 日本民族

アジア大陸の東方(東アジア)に位置する日本列島(北海道・本州・四国・九州の四大島)と、南西諸島・小笠原諸島などから成る島国。首都は東京。

6 オーストラリア

 イギリス植民地→連邦立憲君主制国家

 人口 21,293,000人(2008年)

 民族 ヨーロッパ系

 オーストラリア大陸とタスマニア島及び、その他の小さな島で構成される。首都はシドニー。


第Ⅲ章 各国の鉄道の発展

1 ウガンダ

ウガンダは1890ヘルゴランド=ザンジバル条約により、1894年にイギリス領となった。イギリスが東アフリカを植民地化する前から、ウガンダは「アフリカの真珠」と呼ばれ、おおくの探検家や山師たちがナイル川の源流を求めてやってくるほどであった。そして1895年には、 「ウガンダへの鉄道連絡を考える委員会」が結成され、ウガンダ鉄道が設立。1896 モンバサ(現在のケニア)にて着工し、1901年にキスムまで到達、1931年にはカンパラまで到達した。1948東アフリカ鉄道会社へ移行したが、1977東アフリカ鉄道会社解体により、ウガンダ鉄道会社設立。1997年に旅客サービスを停止。2004モンバサ - キスム間の直通貨物列車を開始した。

1910年インド洋沿岸のモンバサから延びたウガンダ鉄道がビクトリア湖東岸のキスムに達したため、それ以降ウガンダにはワタ栽培が急激に進展し、重要な輸出品となった。また、コーヒーの栽培も現地のアフリカ人の手によって急激に広まった。

 2 インド

インド初の鉄道路線はボンベイ~ターネー間の約40kmで開業した。開業年は1853年であり、日本の1872年より早くアジア初の鉄道となった。当時のインドはイギリスの植民地であり、イギリスが綿花・石炭・紅茶の輸送を図るために敷設した。もともとイギリスの都合で敷設されたことから、開業当時は内陸から沿岸に向かっていく路線がほとんどだった。これにより、農業生産物をイギリスへ効率よく輸送できるようになった。また、イギリスの工業生産物をインド内陸部へ輸送することも容易になった。インドでは独立後も鉄道の敷設が推進され、世界有数の鉄道国となった。現在、インドでは、主要都市間などで長・中距離列車が、主要都市内で近郊列車が走っている。基本的に国有で、利便性が高く、慢性的に混雑している。今後、高速鉄道を敷設していく計画もある。経済面では、1990年代より豊かになり、現在も発展が続いている。2013年のGDP1,135,507億インド・ルピー*1であり、今後はアメリカ合衆国、中華人民共和国に続く世界3番目の経済大国になるとの予測もある*2

 以上より、鉄道の発展に伴って経済が活発になっていることが分かる。このことから、インドでは鉄道の普及が経済発展の一端を担っているとの結論に至る。

 3 マレーシア

マレーシアの鉄道の始まりは、19世紀にマレーシア・ペラ州で錫の鉱脈が見つかった。すると、そこにマレーシア随一の産業都市ができた。そのとき中国系移民が労働者として多く集まったのだが、その中国人同士で衝突を繰り返すなど、問題が絶えなくなってしまった。そこに19世紀末に登場したのがイギリスである。登場するや否やイギリスは中国人や諸外国の移民およびマレー人を制圧し、実質的な統治を始めた。その後、1885年にマレーシアを植民地としていたイギリスが狭軌で線路を敷設し始めた。これがマレーシアの鉄道の始まりである。その鉄道は開業当初は錫の輸送に使われ、第二次世界大戦中は物資の輸送用として運用されていたようである。大戦後も物資・人の輸送で大活躍した。従って、マレーシアの発展に鉄道は大いに活躍したことが分かる。

マレーシアの鉄道には2014年現在マレー半島を走るマレー鉄道 (KTM) 、マレー半島東海岸の貨物鉄道であるクアンタン・ケルテ鉄道システム、ペナン島のケーブルカーであるペナン・ヒル鉄道、首都クアラルンプール近郊の都市交通、そしてボルネオ島サバ州を走るサバ州立鉄道がある。今日のマレーシアは東南アジア屈指の経済大国となっており、鉄道はタイ・シンガポールとの国際線が出来るなど旅客用鉄道として発展しているようだが、近年の自動車の普及に伴って貨物列車の運用は少なくなってきており、衰退の一途をたどっているようだ。しかしながら新型旅客車両を製造するなど周辺の東南アジア各国よりは鉄道が整備され、安全性が高いようだ。

 4 中国

中国の鉄道は清朝時代の1876年にイギリスのジャーディン・マセソン商会によって、ガブリエル・ジェームズ・モリソンの指導で敷設された呉淞鉄道が始まりであるが、無許可で作ったものなので、清によって数年で撤去された。その後、1881年に、イギリス人技師、クロード・ウィリアム・キンダーの指導で、石炭輸送を目的として、唐胥鉄道が敷設された。以後、中国の鉄道の多くは、イギリスをはじめとする列強の手によって、太平洋戦争終了までに21,810kmが敷設された。

1949年に中華人民共和国が成立すると、鉄道は国の重要な産業とみなされるようになり、現在も国家指導下で急速に鉄道建設が進められている。2010年末には、中国の鉄道総延長は91,000kmに達し、アメリカに次いで世界第2位だといわれている。

2012年現在の年間貨物輸送量は、39400万トン、29,187900万トンキロであり、同年の年間旅客輸送量は、189,300万人、9,8123,300万人キロで、いずれも長距離の利用が多い。また、毎年12月の春節輸送では、延べ約2億人とも言われる利用客を捌くために、4045日程度の特別体制が組まれ、列車が全国で大増発される。

よって、鉄道は中国にとって必要不可欠であり、その発展に貢献していると言える。

 5 日本

日本で鉄道の建設が始まったのは明治維新直後である。しかし自力で建設することは不可能だったので欧米に援助を頼むこととなり、鉄道発祥国としての技術力などが評価されイギリスが選定された。そして1872年に新橋~横浜間が開業。建設は所謂お雇い外国人のイギリス人技師によって指導された。それを皮切りに全国に鉄道網が広がっていった。但し北海道のみはアメリカの技術で敷設された。昭和初期頃までに幹線は殆ど敷設が完了し、地方の線区も昭和末期までにほぼ建設が終了した。また、欧米技術からの自立も進められていった。簡易な客車・貨車などはすぐに国産化され、明治後期には蒸気機関車の国産化にも成功した。そして昭和初期までには車両・施設の殆どが国産で賄えるようになった。第二次世界大戦で日本の鉄道は大きく傷つき、車両不足や老朽化等に悩まされたが、戦後復興と共に急速に回復していく。1950年代から電化と無煙化が進められ、性能の良い電車や気動車が各地に導入されていった。この結果1974年までに蒸気機関車は姿を消した。また1964年に開業した東海道新幹線は当時世界一の速度を誇る高速鉄道で大成功を収める。その後新幹線は日本全国に版図を拡大。その高速性と正確性と安全性は国内外に認められている。現在では時速500キロで走るリニアモーターカーの建設も行われている。明治以来地方の私鉄を除き国鉄が運行していたが、昭和後期になると大規模な赤字になり1987年にJRグループ7社に民営化された。

日本は世界で最も鉄道網が発展している国の1つである。日本の鉄道は旧国鉄、現JRが全国に路線網を有しており、また各地に大小の私鉄が存在する。都市部における鉄道の需要は高く、世界の鉄道シェアの4割を日本が占めている。鉄道技術・ダイヤの正確さは世界最高水準である。しかし一方で地方の鉄道はモータリゼーションの進展により経営が苦しく、廃止など縮小される傾向にあるなど課題も存在する。

鉄道の開業により日本の輸送事情は一変した。一度に大量の物が運べるようになり、移動の速度も段違いに速くなった。勿論鉄道だけが経済発展の要因ではなかろうが、それに貢献した効果は計り知れない。

以上より、日本において鉄道は欠かせない存在となっており、重要な役割を担っているといえる。

6 オーストラリア

 オーストラリア連邦はかつてイギリスの植民地であったことで知られているが,より正しい表現を用いてこの国家の歴史を説明するのであれば,19世紀当時,そこは複数の完全に独立した流刑植民地の複合体であった。この影響を受けて,19世紀半ばから徐々にオーストラリア各地に誕生し始めた鉄道も,それら独立した植民地ごとの独自の規格を採用したものが多くあり,特に,現在でも尾を引く問題となっているのは,各植民地で異なる軌間である。これは,オーストラリア全土における鉄道網の展開を考慮に含めていなかった各植民地政府が,当時の宗主国イギリスの助言を無視して独自の基準を採用した結果であり,この結果,オーストラリアでは今日も州ごとの鉄道運営が目立ち,未だ全ての軌間を統一するに至っていない。また,オーストラリアは現在90km余りとも言われる非常に充実した道路網を有しており,人口当たりの自動車保有台数も世界8位と非常に高水準である。これは,オーストラリアで暮らす人々の交通面における自動車への依存の高さを示すものであり,同時に思うように軌間の統一が進まない鉄道が発展を見せない理由を説明しているデータであるという解釈も可能である。


第Ⅳ章 各地域における鉄道発展の法則

 第Ⅲ章で6か国の鉄道の変遷と現状についてまとめた。そこから鉄道が発展していくのに必要な条件を導いていこうと思う。

まず植民地においては、どうしても宗主国の都合が最優先されてしまう。路線の敷設のされ方はもちろん、貨物輸送や軍事用途中心で旅客輸送が御座なりにされたりもする。よって鉄道をより発展させるには独立国である必要がある。また同じように、国家権力が強すぎる共産主義国家や軍事国家においても、同様に統制されがちである。今のところ、国家体制が民主主義であり資本主義である方が鉄道は発展する傾向にあるといえる。また国が豊かにならなければ鉄道の需要は増加しない。日本をはじめ、鉄道が発展し需要が高い国はどこかで経済発展を遂げている。中国は社会主義の国だが、市場開放により経済発展を遂げているので鉄道がかなり発達している。これから経済が成長しようとしている国は、鉄道が発展する見込み大である。但し国土が広大すぎる大陸国においては国民が豊かになるとむしろ飛行機の需要が増加してしまい、旅客輸送が廃れてしまうという弊害もある。また大きな問題に規格がある。オーストラリアの例に見るように、軌間の相違は鉄道の運行上大きな弊害となる。全国規模のネットワークは規格を統一しなければならない。但し日本の新幹線についてはこの限りではないので、完全に独立した新線のような形であれば問題ない。しかしどんなに国内の規格を統一させたところで、外国とはどうしても差異が出てしまう。それが安全性や高速性の面においてネックであるとわかっていても、国際列車を運行する関係上規格統一のために変更できないこともある。これが鉄道の発展の弊害となっていることもある。その意味では、島国は規格の統一がより容易であるといえる。

以上の要点をまとめると次のようになる。

・独立国である

・民主主義である

・資本主義である

・経済発展を遂げている

・国土が広大すぎない

・全国路線網の規格が統一されている


第Ⅴ章 まとめ

本論文では、地理的な特徴の違う6か国を軸に、世界各地域における鉄道発展の法則を導いた。

鉄道の持つ輸送力や省エネ性等が世界的に見直されつつある中で、鉄道は現在どんどん進化しつつある。そして欧米や日本をはじめとする鉄道先進国は、高速鉄道をはじめとした鉄道車両やインフラの輸出に積極的だ。こうした国々が今後世界各地域に鉄道を輸出する際に、我々の研究を参考にしてもらえたら幸いである。

出典

ウガンダ

斎藤文彦「地方行政と開発」/ 吉田昌夫・白石壮一郎編著『ウガンダを知るための53章』明石書店 2012 93-94ページ

吉田昌夫・白石壮一郎編著『ウガンダを知るための53章』明石書店 2012 18ページ

プランテーション方式で生産されるのではなく、土着の農民が生産し、その生産物を買い付け業者が買い、輸出するという方式である。吉田昌夫「小農輸出経済の形成」/ 吉田昌夫・白石壮一郎編著『ウガンダを知るための53章』明石書店 2012 99ページ

吉田昌夫・白石壮一郎編著『ウガンダを知るための53章』明石書店 2012 15ページ

インド

世界大百科事典

井上恭子「人口増加率・識字率・男女比の地域差が示すもの」/ 広瀬崇子・近藤正規・井上恭子・南埜猛編著『現代インドを知るための60章』明石書店 2007 213ページ

マレーシア

平成25年防衛白書 第I部 わが国を取り巻く安全保障環境 第5節 東南アジア

中国

中国鉄道大全

日本

松村明ほか『デジタル大辞泉』小学館、2013。松村明ほか『大辞林第三版』三省堂、2006。加藤周一ほか『世界大百科事典』、日立ソリューションズ・ビジネス、1998

吉村武彦『古代天皇の誕生』(角川書店、1998

網野善彦『「日本」とは何か』(講談社、2000年)、神野志前掲書など。

下中直人編『世界大百科事典 21平凡社、387頁。

前掲『世界大百科事典』 387頁。

前掲『世界大百科事典』 387-388頁。

前掲『世界大百科事典』 388頁。

熊谷公男『大王から天皇へ日本の歴史03』(講談社、2001年)、吉田孝『日本誕生』(岩波新書、1997年)など

吉田孝『日本の誕生』(岩波新書、1997年)

神野志隆光『「日本」とは何か』(講談社現代新書、2005年)

古田東朔「国号」節(「日本」項、『国史大辞典』第11巻、吉川弘文館、1990年)

東野治之『遣唐使と正倉院』(岩波書店、1992年)や神野志前掲書など。

オーストラリア

オーストラリアの鉄道がわかる本1999/3高木