校長のことば

 

 

 

校長 小島 克也

平成30年度、第30代校長として着任いたしました。

 我が国は、グローバル化の進展や過去に経験のない生産年齢人口の減少、あるいは絶え間ない技術革新等、激しい社会変化の真っただ中にいます。このような予測不可能な難しい時代において、いや、難しい時代であるからこそ、浦高は、これまで1世紀以上にわたって続けてきた浦高教育の真髄である全人教育をこれからも自信を持って貫いてまいります。

 浦高生は、校訓である「尚文昌武」(文を尊び武を盛んにする)の理念のもと、勉強、学校行事、部活動の3つを「少なくとも三兎を追え」をモットーに、徹底してやり抜きます。挫折することも多々あります。壁にぶち当たったり、深みにはまって身動きが取れなくなったりすれば、みんなで助け合います。その過程を通じてタフで優しい人間に育っていきます。

 生徒には、「世界のどこかを支える人間になれ」と言っています。その言葉通り、これまで浦高教育のもとで、様々な分野で世界をリードする多くの人材を輩出してまいりました。浦高生は、世界で活躍する先輩に続けとばかりに、日々「無理難題に挑戦」し、成長しております。

教育の王道を歩みながらも、常に進化し続ける浦高へのご支援ご協力をよろしくお願いいたします。

■尚文昌武(文を尊び武を盛んにする)

 ■少なくとも三兎を追え

 ■世界のどこかを支える人間になれ

 ■無理難題に挑戦しろ

 

 

校長講話

校長講話

校長講話 平成30年度卒業式

春のやわらかな日差しが感じられる季節となりました。この春のよき日に、前校長杉山剛士先生、PTA会長菊地耕太郎様、同窓会副会長田中暄治様、同じく加瀬豊様をはじめとするご来賓の皆様には、お忙しい中ご臨席を賜り、誠にありがとうございます。そして保護者の皆様におかれましては、お子様のご卒業のお祝いに多数ご来場いただき、深く感謝申し上げます。ありがとうございます。皆様のご臨席の下、本校第七十一回卒業証書授与式を、かくも盛大に挙行できますことを、心より嬉しく思います。

 ただ今、卒業証書を授与いたしました、四百名の皆さん、卒業おめでとうございます。皆さんは、この三年間、旧制浦和中学校以来の校訓「尚文昌武」の旗印の下、勉学やスポーツ・文化活動に励み、心身と頭脳の鍛錬に全力で努めてきました。その努力に対し、学校を代表して、心から拍手を送り、お祝いを申し上げます。

改めて、卒業おめでとう。よく頑張りました。

 皆さんは、三年前の春、希望と期待に胸を躍らせて浦高の門をくぐりました。入学式で、前校長の杉山先生からいただいた言葉を覚えていますか。二つありました。

 一つは、「自分の志を立てよ」です。浦高の三年間で、大学で自分は何を学ぶのか、どのような職業につくのか、また、どのように生きていくのかを徹底的に考えて、将来世界のどこかを支える人間になってほしい、という意味でした。

 二つ目は、「浦高の教育を100%信頼し、本気で取り組め」です。これが意図するところは、中学校時代には通用していた受け身の姿勢を捨て、浦高生活の中で訪れる数々の無理難題に対し、仲間とともに楽しみながら挑戦し乗り越えていってほしい、ということでした。

 浦高生活を振り返ってみて皆さんの答えはどうでしょうか。

 高い志をもって、将来どう生きるかについて徹底的に考えたでしょうか。

 そして、目の前に次々と現れる試練に対し、本気で取り組んだでしょうか。

 ここでは、「本気」がキーワードです。皆さんは、浦高で何を身に付け、何を得ましたか。それは、学習習慣であったり、クラスや部活の仲間であったり、挫折して立ち上がる強さであったり、最後までやり通すことのできる心身であったり、様々であろうと思います。

 私たちは、皆さんが勉強や部活動、学校行事などに本気になることができる場を用意しようと努めてきました。皆さんは、その場面場面で、無理難題に逃げず、屈せず、そして「本気」を心に刻んでくれたと思います。

 さて、我が国は、あとわずかで、平成という一つの時代が終わり、新しい時代へと移ります。平成の時代における我が国は、少子高齢化問題、原発問題、貧富の格差など、多くの社会問題に直面し、今日においても、その解決の糸口がなかなか見いだすことができないままでいます。しかし一方、AIを中心とした科学技術革新やiPS細胞を始めとする医学の進歩など、人々の生活がより明るく豊かになることが予見される未来への希望の光も見えてきています。人類の歴史上、解決しなければならない課題のなかった時代は皆無ではないでしょうか。その時代時代における課題一つ一つに向き合い、希望の光をたどりながら、その先にある幸福を目指していくのが人間です。

 目前に迫った新しい時代において、その時代を切り開き、日本のそして世界の平和と安全、そして幸福の担い手として期待されるのが、若い世代の皆さんです。その皆さんにエールの言葉を送りたいと思います。

 それは、2学期の始業式でも皆さんにお話しした「真のエリートになれ」という言葉です。

 今日は、皆さんが卒業するにあたって、改めてこの言葉をテーマにし、前回話した内容をさらに深めてお話ししたいと思います。

 まず、前回皆さんに話したことの復習ですが、浦高に合格した時点で、周りの人たちは、君たちを「エリート」と見るんだから、浦高ブランドを身にまとった以上は、皆さんがどんなに自分では、「僕はエリートなどと呼ばれたくない」と思っていても、世の中はそう見ない。好むと好まざるとにかかわらず、周囲の期待を自覚し、覚悟を定めよ、とお話ししました。そして、将来「真のエリート」になるために皆さんには「謙虚になることを覚えよ」とお話ししました。

 実は、この教えは、私が、浦高生であった時、当時の先生方から言われていたことです。当時の浦高の先生は、私たち生徒に「浦高生は平均的なエリートだ」と言いました。その意味するところは、「浦高に入ったぐらいでうぬぼれるなと。世の中すごい人間はいくらでもいるから、謙虚になって、勉学に励め」ということです。この謙虚になるということは、昔から浦高生に対して求められている教えでありますので、改めて心の隅に置いておいてください。

 今日は、これとは異なる視点で「真のエリート」についてお話しします。

 世の中では、「エリート」という言葉には、どちらかというとマイナスのイメージが付きまとっています。たとえば、「あいつはエリート意識を持った鼻持ちならないやつだ」とかという言葉です。しかし「真のエリート」とは、世間で思われている「受験エリート」とか「肩書エリート」とは似て非なるものです。「真のエリート」とは、高学歴、高収入、高い地位といった外面的属性で語ってはいけない言葉です。世の中を見渡すと、政治家であっても、一流企業の経営者であっても、他人の痛みを気にもかけず、己の利益のみ追求し、やがてうそやごまかしが露呈して失脚していく人たちが後を絶ちません。そのような人たちは、どんなに学歴があっても、どんなに社会的地位が高くても、そもそも「真のエリート」に値しない人たちです。

では、「真のエリート」とは何か。今申し上げた通り、学歴や肩書で語られるような薄っぺらいものではないことは確かです。多摩大学大学院の田坂広志教授は、ご自身の著書の中で、見事にこう言い表しています。

「今、多くの人たちが、「エリート」という言葉の意味を誤解している。「エリート」とは、「厳しい競争を勝ち抜いた優秀な人間」のことではない。そのことによって「自分は誰よりも優秀だ」と思い込んでいる人間のことではない。「真のエリート」とは、自分が「恵まれた人間」であることを知り、そのことに感動し、その深い感謝を、世の中の多くの人々の幸せのために生きることによって、表して、歩む人間のことだ。」最後の部分を繰り返します。

「真のエリート」とは、自分が「恵まれた人間」であることを知り、そのことに感動し、その深い感謝を、世の中の多くの人々の幸せのために生きることによって、表して、歩む人間のことだ。なんて美しい言葉でしょう。私が今日皆さんへ送るエールの中身は、全てこの言葉に凝縮されています。

 まず、「恵まれた人間」について、皆さんに当てはめて考えてみましょう。

 3年前皆さんは、県内随一の高校入試を突破し、以来、3年間、無理難題に挑戦し、多くの皆さんが三兎を追いかけ、全力を尽くして青春を謳歌した。難関大学にも合格した。浪人する人も、もう一年の苦労の末、難関大学に合格していくことでしょう。その皆さんの頑張りは称賛に値します。でも、その成功は、皆さんが、優秀だからだろうか。それは皆さんが努力したからだろうか。もちろんそれもあります。しかし、決してそれだけではありません。どれほど優秀な頭脳を持っていても、どれほどの努力家であっても、家庭の事情で大学進学できない人が世の中には数多くいます。一方皆さんは、ほとんどといっていいくらい不自由なく、親の愛情を一身に受け、好きなことに夢中になって取り組むことができる温かい家庭環境に生まれた。その幸運に恵まれたことを見つめるべきです。もちろん、皆さんの中には、家庭の経済的なことを言えば、決して楽ではなかった人もいるでしょう。これからも苦学を余儀なくされる人もいるでしょう。でも、こうして浦和高校を卒業し、曲がりなりにも大学まで通うチャンスが得られるという事実は大きいのです。さらに、家庭の境遇だけでなく、勉学を続けるのに困難な病気や障害があって、高校や大学への進学を断念せざるを得ない人も世の中にはいる。そのことを決して忘れてはいけません。その意味で、皆さんは、やはり「恵まれた人間」なんです。「運」に恵まれた人間なんです。皆さんは、その自分の与えられた境遇に感謝しなければいけません。

 次に、その感謝の心を抱いたときにどのように生きたらいいのでしょうか。先ほどの田坂教授の言葉を借りれば、「世の中の多くの人々の幸せのために生きる」ということです。

 いつの時代にも存在する世の中のさまざまな課題は、なぜ生じるのでしょうか。私は、それらの課題を生み出した一番の原因は、「自分さえよければよい」「自分の国さえよくなれば、ほかの国はどうでもよい」という人間の心にあると思うのです。つまり、戦争やテロ、経済摩擦、あるいは環境問題といった、人間社会を悩ます課題の多くは、自分だけの利益と幸福を追及することによって生じていると思うのです。でもこの「自分さえよければいい」というエゴは、誰の心の中にもあるものです。この厳しい「競争社会」において、そのエゴに流されることなく、他人の幸せのために生きていくことは、決して楽なことではありません。時に、エゴから発せられる甘いささやきによって、自己中心的な振る舞いに陥りそうになるかもしれません。その時には、ぜひ、みなさんの心の中のもう一人の自分の声に耳を傾けてください。皆さんを正しい道に引き戻す正義の声に耳を傾けてください。皆さんが誠実に自分の心と向き合えば、必ずその正義の声が聞こえてくるはずです。「自分は、そんなに強い生き方ができるだろうか」と思うかもしれません。でも浦高生にはできます。すべての浦高生ができるんです。なぜなら、この3年間、タフで優しい男になるために、そして、世界のどこかを支える人間になるために、勉強の他にも人間として大切なことがかくもたくさんあると学んできたじゃないですか。机に座っているだけでは味わえない無理難題に、どんなにつらくても、挑戦してきたじゃないですか。その中で、仲間を助け、仲間に助けられ、仲間の心に寄り添い、仲間との絆の大切さを浦高生なら誰もが学んだじゃないですか。仲間とともに苦しみや悩みを乗り越えた皆さん一人一人の心の中には、エゴに流される弱い自分を戒める、他人のために本気で生きろと語りかけてくるもう一人の強い自分が心の奥深くに宿っていることを皆さんは誇りに思っていいのです。皆さんには、自分のエゴに流されることなく、信念をもって、これからの道を歩んでもらいたいと思います。

 最後にもう一度お伝えします。自分が「恵まれた人間」であることを知り、そのことに感動し、その深い感謝を抱きながら、世の中の多くの人々の幸せのために生きてください。これが、深い人生観を抱いた「真のエリート」への道です。この道は、決して平たんな道ではありません。しかし、何も心配することはありません。これから皆さんが歩む道は、誰も通ったことのない未開の地でも荒野でもありません。皆さんの約三万人の先輩たちが歩んだ道を、皆さんはその背中を追って歩んでいくのです。その道の先に待っているそれぞれの何かを目指して強く歩み続けてください。

 さあ、卒業生の皆さん、いよいよお別れの時が近づいてきました。我が母校浦高で、「本気で取り組むことの大切さ」を学んだ、その誇りと自信、「尚文昌武」の下に、鍛えられた体、養われた徳性、そして磨かれた知性を礎に、人生の荒波を乗り越え、広き宇内に雄飛してくれるものと確信します。新しい時代は確実に若いあなたたちの時代です。その中軸となり、日本と世界をリードする人材として期待しています。

 浦高を巣立っていく皆さんの将来に限りない望みを託し、重ねてお祝いを申し上げ、式辞といたします。卒業おめでとうございます。

 

 平成三十一年三月十五日

 埼玉県立浦和高等学校長 小島克也

校長講話 二学期終業式

「グローバル人材の育成について」

 浦和高校は、今力を入れている教育の一つに、グローバル人材の育成がある。まず、私自身の中で決めている「グローバル人材」の定義は、「世界の人たちと一緒になって、地球規模の課題の解決に貢献できる人」というもの。絶対の定義ではないが、とりあえず、ここでは、この定義で話を進めていく。

 さて、まず最初に、最近の浦和高校におけるグローバル人材育成の取り組みについてまとめてみたい。

 今から23年前、浦高100周年に合わせて、イギリスのウィットギフト校と姉妹校提携を結んで、それ以来、浦和高校におけるグローバル人材の育成が本格化。

 ウィットギフトに2年間留学した生徒は、そのままイギリスのオックスフォードやケンブリッジをはじめ、ロンドン大学、セントアンドリューズ大学といったそうそうたるトップ大学に進学して、そのままイギリスで就職して海外に住み続けている人もいれば、日本に戻って外資系の企業で活躍している人もいる。彼らは、そのうち浦高生のロールモデルとして麗和セミナーに呼ばれることになるだろう。

 また、国からは、5年前にスーパーグローバルハイスクール、いわゆるSGHに指定。このSGHを通じて、浦高のグローバル人材育成は大きな成果を遂げている。

 一つ目の成果は、海外派遣プログラムの充実。この5年間でいくつもプログラムが立ち上がって、浦高生が海外で研修を積む機会も多くなった。SGH前は20数名だった海外派遣が、昨年度は、約60名と倍以上に増えている。

 二つ目の成果は、アドグルの充実。

 アドグルがなぜ、グローバル人材育成につながるのか?先ほどの私のグローバル人材の定義として「地球規模の課題の解決に貢献できる人」と言った。民族紛争、環境破壊、貿易摩擦、貧困問題等々、世界の課題は山積している。地球の未来のためにもこの課題に、世界が一緒になって一つ一つ取り組まなければならない。このことを考えれば、グローバルで活躍する人というのは、「問題解決能力」を持っていることが必須だと思う。一方、アドグルの方針は、「世の中の問題点を自分で見つけて、自分なりの解決策を考える。」というもの。 アドグルとグローバル人材とは、正にこの「問題解決」というキーワードで共通している。皆さんは、アドグルの実践を通して、グローバル人材の土台を作っているわけ。だから、浦高がSGH認定を受けるにあたって、アドグルが大変評価された。ですから、いろいろなアドグルで、例えば作家であったり、医師とか能楽師といった普段呼べない人たちを呼んで、講義をしていただいているが、あの人たちの謝金は、すべてSGH予算から出ている。

 SGHは今年で終了する。先日ある生徒から、「SGHが終わって浦高どうなるんですか?」という質問を受けた。その生徒は、海外志向を持っているらしい。私はSGHが終わっても、海外に多くの生徒を派遣するとか、アドグルを応援するという流れを何とか維持向上させたいと思う。

 SGH以外では、海外派遣のような大きな取組ではないが、グローバル人材育成への機運を高めるような、小さいけれども意味のある取組もある。

 例えば、A棟とB棟をつなぐ2階の東側通路に、大きな掲示板ができたのに気が付いた人はいるでしょうか。掲示板の愛称を「雄飛ボード」としているが、国際交流関係の情報を一元的に掲示するために新しく設置したもの。ちなみに、その掲示板は、3年生との面談の中で、ある生徒が、浦高は、SGHの指定校の割には、グローバル教育に関する掲示が貧弱だ、と私に指摘したことがきっかけ。素晴らしいところに気が付く生徒がいるもんだ、感心する。わたしは「その通りだ」と思い、早速職員会議で提案して設置した。海外を目指したい生徒にとって有益な情報が「雄飛ボード」上で提供されているので通りかかった際にはぜひ見てください。

 それから、ご存知の通り、私は、簡単なあいさつ程度は、すべて英語で行っているが、これも、少しでも多くの浦高生が、みんなの前で、思い切って英語で話すモチベーションになってもらえればという気持ちで、ジャパニーズイングリッシュ丸出しで恥ずかしいが、冷や汗かきながらやっている。英語が使える日本人はたくさんいるが、そういう人たちがよく言うのは、「英語は度胸だ」ということ。「英語は度胸だ」を私自身、身をもって実践している。

だから、この間、ウィットギフトが来た時、ここで歓迎セレモニーがあったが、生徒会長の塚越君が、とても頑張って、長い英語をしゃべっていたのを見てとてもうれしく思った。

 グローバル人材の育成は、何をやれば十分ということはないけれども、意欲のある生徒には、できるだけメニューを提供できるようにしたいと、これからもあの手この手でやっていこうと思う。

 次に、グローバル社会で活躍する人材になるためには、どんな資質を高めればいいのかという話をしたい。

 話せばたくさんあるが、今日はそのうち3つだけ話す。

 一つ目は、「タフネス」。これは、肉体、精神、知性いずれにもおけるタフネスである。文化も価値観も違う世界の人を相手に仕事をするのであるから、日本人だけで仕事をする以上に、困難な仕事になるのは当然のこと。その困難な仕事から決して逃げずに、最後までその仕事をやり抜くタフネスさは、グローバル社会を生きるうえで、最も必要な資質ではないだろうか。大変なことのように聞こえるが、この肉体、精神、知性のタフネスさは、浦高生の最も得意とするところであると思う。肉体にしても、精神にしても、知性にしても、どれだけ理不尽な浦高の教育に君たち耐えてきたことか。3年生にもなれば、この理不尽さを快感にさえ感じている人も中にはいるんではないか?それこそ浦高魂だ。

 グローバル人材に必要な資質二つ目。

 「問題解決能力」これはさっきアドグルのところでいった通り。この問題解決能力も、浦高の3年間でかなりの素養が身につけられていると考える。問題解決能力の基本は、何事も自分で考えるということ。この自分で考えるということは浦高の教育が日ごろ大切にしていること。アドグルだけでなく、日頃の授業の中で、単なる暗記ではなく、話し合って、調べたりして、自分で考えて解を見出すという学びを行っている。このような学びは、君たちに問題解決能力を身につけさせるばかりでなく、困難なことに対してもあきらめない心を育てることにつながっていると考える。

 最後、3つ目は、語学力。外国語は、グローバル社会で生きるための必需品。野球でいえば、ボールとバットだと考えればわかりやすい。外国語は、まずは英語ということ。海外で仕事をするようになれば現地語も含まれるが、それは将来の話。君たちの将来の仕事の拠点が、国内であろうと国外であろうと、仕事分野が、営利企業であろうが学問分野であろうが、将来、英語が使えないと困ることになるのは明白。道を聞いたり食事を注文したりぐらいは今はスマホに言わせることはできるが、まだスマホで議論はできない。文系理系関係なく、しっかり英語を勉強しよう。英語は浦高生の弱点という話も先生方から聞いている。英語は訓練すればだれでも上達する。一言だけアドバイスすれば、英語学習の基本の「き」は、語彙、文法、音読の3つ。英語が嫌いな人にはつらいが・・。野球でいえば、素振りとランニングだから。でも、これさえさぼらなければ、読み、書き、聞く、話すどれも右肩曲線で伸びていくのは間違いない。ご参考までに。

 今日は、グローバル人材の育成をテーマに話をしたが、まとめると、一つ目は、グローバル社会への対応は、浦高でも大切な分野だと思っていて、これからも推進していくということ。二つ目は、グローバル社会で活躍するための資質として3つ話した。一つは、「タフネス」二つめは、「問題解決能力」三つめは「語学力」という話をした。皆さんは、大学を卒業したら、仕事の拠点が国内・国外に限らず、否応なしにグローバル社会に足を踏み込むことになる。皆さんが、海外の人と堂々と渡り合える人材に育ってほしいと思っている。

校長講話 二学期始業式

「エリートと浦高生について」

 結論から言えば、浦高は、エリートを育てる学校。そして君たちは、将来のエリートになる資質能力を持った「エリートの卵」だ。

 ここでいう「エリート」とは、一流大学に合格しただけで、そのあと怠けてしまうような「受験エリート」のことではなく、真のエリートを指す。

 「エリート」の言葉の定義に決まったものはないが、私なりの捉えかたでここでは「知徳体に優れた、指導的な立場にいる人間」とする。しかも「エリート」とは、他人が、それに相応しい人に対して呼ぶ言葉で、「俺はエリートだ」なんて、自分で自分のことを呼ぶ言葉ではもちろんない。あくまで、周りからの自分に対する評価として使われる言葉である。ただ、エリートというと日本では、厭味ったらしい響きがあるが、そんなことはない。エリートとは、「知徳体に優れた、指導的な立場にいる人間」のことである。どの国でもエリートがいなかったら国は崩壊する。

 さて、本題の「エリートと浦高生」ということだが、浦高生は、県内随一の高校入試を突破した、秀才の集まりなんだから周囲が将来のエリートとして期待するのは当然である。 まず、君たちに言いたいのは、周りの人たちは、君たちは「将来のエリート」つまり「エリートの卵」と思っているということ、そして、君たちは、そう思われていることをまず自覚しなければならないということだ。

 君たちは、目に見えないけど、浦高というブランドを身に着けた。ブランドというのは、両刃の剣みたいなもので、日頃はブランド名を聞いただけで人は信頼してくれるが、少しでも信頼を損なうことをすれば、倍返しの批判を浴びることになる。エリートと言われる人たちは、その役割と期待が大きいだけに、いつも襟を正し、常に向上心を持って努力しなければならない。浦高という名門校の一員になって「エリートの卵」となった君たちにも当てはまる。まず、そのことを君たちは自覚する必要がある。

 今私の話を聞いて、こう思っている人もいるかもしれない。「他人が自分のことをエリート思うのは勝手だけど、俺は、そんな評価なんかに関係なく、自由奔放に浦高生活を送っていく。」そういう意見があってもいいが、でも、それは少し違うんじゃないかなという気がする。123年間も埼玉県のトップ校として君臨してきた浦高には、名門校として受ける期待と果たすべき使命というものがあって、その使命を過去の先輩たちは果たしてきたから、今ある浦高ブランドが継承されているのであって、その使命は、現役の君たちも、将来の浦高生もずっと果たし続けていかねばならない責任があると考える。それが名門校の重みなのではないだろうか。ここまでが最初のポイント。

 そして、次に話したいのが、それでは「浦高生はエリートの卵だ」という他者からの評価に応え、社会人となって卵の殻を破って、最終的には真のエリートへと成長していくために、そのとば口の浦高3年間で、君たちが学ぶ必要があることってなんだろうか、という点である。

 一言で言えば、知、徳、体のバランスの取れた人間としての総合力ということだが、具体的に言えば、まずは、知、何といっても学力。そして、徳、信頼される人になるための責任感、公共心、リーダー性といった数々の人間的素養、加えて、体、生きる土台となる健康・体力だ。今日はこれらの項目一つ一つ取り上げて話す時間はないので、今日は、「真のエリート」ってこういう人間なんだろうな、と私が考えることを1つだけ話したい。

 それは、真のエリートってみんな謙虚な人間である、ということ。うぬぼれない。社会的に上の立場にあるにもかかわらず、偉ぶらない人。真のエリートのまず第一条件じゃないだろうか。君たちには、将来の真のエリートとなるために、謙虚な人になってもらいたい。浦高ブランドのおかげで、周囲から「浦高ですごいね」と言われることが多いと思う。自分もそうだが、君たちも、将来、浦高出身であることで、いい思いをすることがたくさんあるはず。でも勘違いして、うぬぼれちゃいけない。君たちをほめているんじゃなくて、浦高ブランドをたたえているに過ぎないんだということを自覚していないとひどいしっぺ返しを受ける。うぬぼれているうちは、エリートの卵の殻は永久に破れないで終わってしまうということも伝えておく。

最後に、謙虚さの行動様式について話をするが、謙虚さの行動様式は、限りなくあるので、ここでは一つだけ具体的な行動を指摘する。これは、浦高生の君たちに、ここを伸ばすともっとよくなると日頃私が感じている点と符合する。

 それは、「自分から挨拶をする」ということ。自分から挨拶をするというのは、謙虚な人間になるための一丁目一番地の行動だと思う。浦高生は思ったほどあいさつしないということを、この4月以来、先生方からや3年生との面談の中でも何度も聞いた。私も、そう感じる時が正直言ってある。

 私は、仕事柄よく中学校を訪問するが、中学生は本当に元気にあいさつしてくれる。お   そらく君たちの多くは、中学校の時の方がよく挨拶していたんじゃないか?それがなぜ、高校になると自分から挨拶しなくなるのか。それは、中学校の時はやれと言われてやっていたに過ぎないからだ。挨拶の意義を心から理解していないからだ。

 繰り返すが、真のエリートになるためには、謙虚な人間でなければならぬ。そして謙虚な人間になるための第一歩は、自分から頭を下げて挨拶することだ。少し理屈っぽくなったが、それよりなにより、挨拶は人からされると気持ちいい。相手に気持ちよくなってもらおうじゃないか。そうすると浦高がもっと明るくなる。もっと活気のある学校になる。

 今日の話をまとめると、君たちは、自分で意識するしないにかかわらず、エリートの卵だ。是非その殻を破れるように力をつけてほしい。

 そして、真のエリートというのは謙虚な人間であって、その基本となる一番目の行動は、自ら挨拶する人間になること。

校長講話 入学式式辞

新入生の皆さん、ご入学おめでとうございます。

 本県で最難関の高校入試を突破し、ただ今、入学許可を受けた364名の駿傑が、ここ浦和高校で新たな人生の一歩を踏み出しました。皆さん一人一人の今の心の内までは推し量ることはできませんが、先ほどの呼名に対する皆さんからの力のこもった返事に、皆さんの強い意欲を感じ取ることができました。

 実は、43年前の今日、私は、皆さん側の席に座って浦高の入学式に臨んでいました。周りの同期生がみんな自分より優れた人間に見えたこと、当時の 矢代 登 校長先生の式辞で「君たちに日本の未来を託す」とはっぱをかけられたことなどが、断片的でしか、記憶に残っていませんが、ただ、これからの浦高生活が楽しみで楽しみで仕方がないというわくわく感で一杯であったことだけは鮮明に覚えています。おそらく皆さんも、その時の私のように、自分自身に対する期待で胸を膨らませているのではないでしょうか。

私は、縁あって、今年度母校の校長という大役を仰せつかりました。かわいい後輩たちを前にして、一番気持ちが高ぶっているのはこの私かもしれません。全力で皆さんを応援していきたいと思っています。

 

  

 さて、ここで、浦和高校とはどういう学校か、簡単にお話ししましょう。 

 本校は、明治28年、埼玉県第一尋常中学校として浦和の鹿島台の地(この鹿島台という地名は、校歌にも出てきますが、今の浦和区常盤にあるさいたま市役所のあたりです。その鹿島台の地)に開校し、今年創立百二十三年目を迎えた歴史と伝統ある高校です。そして、これまで、三万人を超える卒業生を世に送り出す中、学問研究を始め、医療や宇宙開発、あるいは文筆・芸能といった様々な分野の第一線で活躍しているOBが数多く輩出している、正に日本を代表する名門でもあります。

 浦高の教育の精神を象徴する言葉として、旧制中学校以来、脈々と引き継がれている言葉に「尚文昌武」があります。これは、文を尊び武を盛んにするという意味の造語であり、文武両道を意味します。この「尚文昌武」の方針のもと、あらゆる教育活動を通して、生徒たちの心と体、そして頭脳を鍛え、人間としての総合力を備えた人材を育成してまいりました。

 「尚文昌武」の他に、本校が大切にしている言葉に「少なくとも三兎を追え」があります。「二兎追うものは一兎も得ず」という世の中の通説を超えたものとして「少なくとも三兎を追え」があります。浦高の教育システムは、知、徳、体のバランスの良い、真のリーダー育成を目指しており、単なる受験教育ではないことを、「少なくとも三兎を追え」の言葉で宣言をしているわけです。

 三兎とは、勉強、学校行事、部活動を指しますが、まずは、なんといっても勉強です。浦高は第一に授業で勝負します。皆さんの学力をつけることに妥協はしません。浦高の授業は詰め込み授業とは違います。知識の定着を大切にしつつも、それを活用した応用力・思考力の育成に力を入れています。2年次からは、文系・理系に分かれますが、単位制の機能を生かして、様々な授業を選択することができます。文系であっても数学を探求できたり、理系であっても歴史の素養をより深く身に付けることができたり、といった柔軟な教育課程を設定し、受験に必要のない科目であっても個人の希望に応じて幅広く学べることを保障しています。これが、浦高が重視する教養主義です。

 勉強だけでも忙しい生活になりますが、そのうえで、年間を通じて様々な全員参加の学校行事が設定されています。そのメニューの多さに驚くかもしれませんが、行事への参加を通じて得られるコミュニケーション能力や協調性・体力などの向上は、将来のリーダーとしていずれも欠かせない資質であるとの信念が我々にはあります。部活動も、皆さんの人間としての幅を広げるのに大変意義のある活動です。皆さんの多種多様な興味関心に対応できるよう部活動を種類多く取り揃え、自発的に参加できる環境を用意しています。

 

ざっと、浦高の教育方針を概説いたしましたが、この場で申し上げることができるのは、ほんの一部であります。明日以降、各種オリエンテーションを通じて、浦高の教育をより深く理解していただきます。その理解を助ける一冊として、先月、講談社現代新書から「埼玉県立浦和高校」という本が出版されました。著者は、本校卒業生の佐藤優さんで、私と浦高の同期生です。元外務省の主任分析官で、今は、作家として大活躍されている方です。もうすでに読んだ人もいると思いますが、この本は、佐藤さんご自身の浦高時代の経験をベースに「人生力を伸ばす浦高の極意」が詳細に記述されています。浦高同窓生のすべての思いが詰まっています。その内容は、我々教職員の心と一にしており、浦高の教育の本質がよく理解できますので、参考までに紹介しました。

 

さあ、皆さんは、いよいよ浦高生としての高校生活を今日からスタートさせます。そのスタートを切るにあたって、3年間ずっと実践をし続けてほしいこと、数ある中からこの場では2つだけを取り上げてお伝えします。

 

 一つ目は、「質の高い授業の創り手となれ」ということです。先ほど申し上げました通り、浦高は授業で勝負する学校です。授業とは、生徒をどのように育むのかという学校としての教育理念が最も端的に表れる場です。ですから、本校の教員は、日々改善に心がけながら常に質の高い授業の実践に全神経を集中させています。一方、生徒にとっての授業とは何かといえば、それは、自らの可能性に目覚め、自分をより高い次元に引き上げようと努力する場であります。従って、授業は、教員が生徒に対し一方的に行うものではなく、教員と生徒が、お互いを高め合おうと協働して創り上げていく作品であるといえます。この考え方から、本校の教員は、常に授業研究に励み、大学入試問題にも精通し、授業の内容やレベルを意図的に高く設定します。そして生徒にも厳しい努力を求めていきます。生徒の皆さんとしても、授業の創り手の当事者として、予習を十分に行い、授業中は先生の力をさらに引き出すような質の高い質問をするなど、主体的にかつ積極的に授業に参加してください。それを可能にするだけの高い資質と能力が皆さんにはあります。

 

二つ目は、「徳を高めよ」ということです。この事について、日本を代表する電機メーカーの「パナソニック」を一代で築いた松下幸之助は、八十五歳の時に次のような主旨の言葉を残したそうです。

「徳を高めることは、私にとって今一番必要なことである。私の今の立場で望むものは、技術でもなければ商売の手法でもなく徳の高い人間になることである。徳というものは漠然としているけれど、人間にとってこれが何よりも一番の宝である。技術も大事であるし、学問も大事であるが、徳を持たずしては学問も技術も成り立たない。」

社員から絶大な信頼を受け、数々のヒット商品を生み出し、日本中の顧客に支持された松下幸之助でさえ、晩年に至ってもなお、自らの徳性に満足をしていなかったのです。

リーダーには、高い学力が不可欠であることは言うまでもありません。しかし、その前提として、リーダーに求められる徳が備わっていなければ人は誰もついてきません。

それでは、徳とはどういったもので、どうすれば高めることができるのでしょうか。

徳とは、他人を幸せにするような、内面からにじみ出る人間性すべてを対象とします。中でも、やさしさ、思いやり、奉仕の心は、最も大切な徳性だと私は考えます。そこで、「徳を高めるために何をしたらいいか」ですが、これはそれほど難しいことではありません。ちょっとした心がけでいいのです。自分から挨拶をする。床に落ちているごみを拾う。電車、バスでお年寄りや体の不自由な人に席を譲る。落し物を届ける。そんな、小さな親切を積み重ねるのです。大切なのは、人が見ていようがいまいが、他人が心地よく過ごせるように行動することです。このような行動を積み重ねることで、皆さんの徳性は確かに磨かれたものになっていくと確信します。

 

 今日からの3年間、今私が皆さんに申し上げた「質の高い授業の創り手となれ」それと「徳を高めよ」をいつも心にとどめ、日々過ごしてください。悔いのないよう精一杯頑張ってください。教職員一同、皆さんとの出会いを心から喜んでおります。そして皆さんが夢に向かって、着実に歩むことを全力で支えてまいります。

 

最後になりますが、保護者の皆様におかれましては、お子様のご入学、おめでとうございます。長年にわたるご苦労の甲斐あって、保護者の皆様の喜びもひとしおと思います。

私たち教職員は、その喜びを共有するとともに、責任の大きさを自覚し、一丸となって、お子様の可能性を開花させていく所存です。お子様一人一人の健やかな成長と、夢の実現に向けて、家庭と学校が信頼関係を築き、同じ歩調で取り組んでいきたいと思いますので、どうぞご支援ご協力をお願いいたします。

 あわせて、本日ご臨席いただきましたご来賓の皆様には、日頃、本校教育活動のため、格段のご支援・ご協力を賜り、厚く御礼申し上げます。ありがとうございます。今後とも変わらぬ、ご指導・ご鞭撻をお願い申し上げます。

 新入生の皆さんにとって、この人生における貴重な3年間が、実り多いものとなることをお祈りします。御入学おめでとうございます。

 

 平成三十年四月九日

             埼玉県立浦和高等学校長 小島 克也