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校長講話

第三学期終業式

 令和三年度も、今日で終わりを迎えます。

 振り返れば、今年度も一年を通してパンデミックによる制約を受け続けました。したがって、君たちには未だに制約のない浦高生活を経験してもえらえずにいます。ただ、それでも今年度は臨海学校、強歩大会、修学旅行、体育祭、文化祭と、制限はあってもかなりの行事を経験してもらいました。なので、これで浦高の伝統行事も何とか君たちに継承してもらえると思っています。さすがに丸二年を過ぎて、そろそろこれからの日常の姿が見えてくる頃です。来年度は、コロナ以前と全く同じとはいかないまでも、ほぼ日常の浦高生活を満喫してもらえるのではないかと期待しています。

 

 さて、毎年この時期は、大学入試の結果にメディアの関心が高まりますが、三年次生は東大をはじめ、京大、東工、一橋、東北、更には医学部等々、多くの大学への合格を決めました。全体として、とてもよくやったと思います。もちろん、あと一歩届かなかった生徒も多数いました。本気で勝負した分、本当に悔しい思いをしたはずです。でも、その経験がその人を強くし、次のチャレンジへと向かうバネになる。そういうものです。

 その三年次生も、先日立派に卒業していきました。4月からは新たな新入生を迎え、君たちに浦高生活をリードしてもらうことになります。

 

 思うに、時代とともに浦高を取り巻く環境や、世の中の進学校への見方が変わってきています。OBは昔と今を比較してあれこれいうかも知れないが、何もかもが昔のままがいいわけがない。ただ、これが肝心なことだが、浦高は地方の伝統ある進学トップ校として、本来の在るべき姿をブレることなく追い求めている、全国でも数少ない凄い高校です。君たちが、高校選択をしたときには、その凄さなど全くわからずに選んだのだろうが、浦高を選んで大正解です。きっと、卒業までにはその凄さが少しはわかってもらえると思う。全国広しと言えども、今ではこんな高校はそうそうありません。

 

  そこで、年度末にあたり、浦高生の在るべき姿について確認しておこうと思います。

  まずは、先ほど言った大学入試の結果について。74回生が、あるいは昨年の73回生が、このパンデミックの中でこのような結果を出せた理由は何か。世間はいろいろ言うが、端的に言えば、普段なら期待できるサポートやサービスが十分受けられない状況でも、自分の力で受験準備ができたから。様々な制約が続いても、メンタル面を含めセルフコントロールがしっかりできたから。それが最大の要因だといって間違いないと思う。自分で何とかする術を身に付けていることが難関大学での結果に直結した。これがまずひとつ。

 

 ふたつめ。大前提として、浦高には校則がない。校則がないということは、君たちの振る舞いを原則規制しないということだが、それはなぜか。それは、規制しなくても、概ね自分で適切に判断行動ができるのが浦高生だからです。自分で考えることができる、自分の好きにさせてほしいと思う。そういった自主的、自立的な精神と、それを実践するための基本的スキルが身に付いているのが浦高生、ということです。しかも、入学時点ですでにそうなっているはずだから、浦高には校則がない。

 ただ、今は、子供を取り巻く環境がよくない。というか、よすぎる、恵まれすぎているといった方が正解かもしれません。しばらく前までであれば、高校生にもなると、自分の身の回りのことは自分がしなければ誰もしてはくれませんでした。しつけと言われるようなことは、中学校までで終わりでした。興味あることは、本を読んで知識や知恵を自分のものにしたし、スポーツも、多くは自分たちで工夫して、遊びや練習の中で力をつけた。勉強の仕方だって、当然自分で工夫して自然に身に付けた。知的好奇心やわからないことへの対処法だって、誰でも中学までには大方身に付けていました。

 ところが、今は何でも面倒を見てもらえる世の中になりました。何かに頼ってお願いすれば、大概は何とかしてもらえる。でも、それを繰り返すうちに、自分で考えて判断行動するのではなく、何かに頼って言われた通りにやるという思考になる。そうなると、依存心ばかりが膨らんで、結局自分自身に本来の力がつかなくなる。そんな環境が、今の君たちの周りにはある。

 

 そんな実態が新入生にはあるから、浦高もその現実を踏まえ、一年次ではまずやり方を教えるし、課題を課したり、小テスト、再テストをやるようになっている。君たちに、浦高生としての基本を身に付けてもらうに必要な基本、つまり「基本の基本」がないから、でもそうやって浦高生活に絶対に必要な「基本の基本」がないままだと君たちが困るから、だからやっている。この浦高生の前提となる基本が身に付いていなければ、浦高生活での実践も応用もないことくらいは君たちもわかるだろう。本来の浦高生活とは、この「基本の基本」を土台として、浦高生になってから身に付ける「基本」を積み上げる生活を指す。だが、今の君たちは、「基本の基本」と、浦高生になってから身に付ける「基本」とを、両方同時に身に付けることになるから忙しい。そのかわり、これらの「基本」を身に付ければ、これまでの浦高OBと同じように、自分で何とでもできる地力を、君たちは手に入れたことになる。

 そして、この浦高生としての「基本」が身に付いてさえいれば、たとえ今の成績が振るわなくても、その後その気にさえなれば何とでもなる。でも、小手先で取り繕ってそこそこの成績をとっても、浦高生としての「基本」が身に付いていなければ、その後の伸びは期待できない。

 本来、勉強でどの教科をどれくらいどうやるかは、君たちに任されている。一日をどう使うかも、どの教科に時間をかけるかも、君たち自身の責任で決めるべきことだ。勉強は、課題があるからやるのではなく、自分でやろうと決めてやるものだ。そうならないと、本当の意味での力がつかない。だから、君たち全員に、一日も早くそうなってもらうことを願いつつ、先生たちは課題を課してきた。

 

 勉強でも、部活動でも、趣味でも、言われた通りにやっているうちは、うまくなるのも、強くなるのも、力がつくのも、たかが知れている。そうではなくて、自分で考えて、自ら進んでやるからこそうまくなるし、伸びるし、目標も達成できる。浦高生が毎年大学入試で立派な結果を出せるのは、そういうことです。

 だから、君たちも一日も早く自分でできるようになって、自分の好きにやり始めたまえ。自分の判断で、時間を有効に活用したらいい。例えば、浦高の授業は、生徒と先生の真剣勝負の場だとよく言われる。それは、君たち生徒の立場で言えば、いい刺激を受ける場として、自分の学びをチェックする場として、学習のペースメーカーとして、積極的に活用するものであって、やらされたり、何とかしてもらおうと頼ったりするものでは決してない。

 そのことを、肝に銘じて、来年度は新入生に本当の浦高生活を満喫する君たちの姿を見せつけてやって欲しい。このことを、強くお願いしておく。

 

 浦高生というのは、卒業後は自分で何とかできる、何とでもなるという、密かな自負と自信をもって卒業していくものです。君たちにも、ぜひともそのような密かな自負と自信をもって、卒業してもらうことを心から願っています。そのためにも、年度の変わるこの時期に一度自分をしっかり見つめ直し、気分一新新年度を迎えてほしいと思います。

 

 4月になれば、新入生に君たちが背中を見せることになります。浦高生として、その在るべき姿を体現してくれることを心から願って、終業式での浦高校長としての私の最後の話を終わります。

 

第74回卒業証書授与式

 寒かった冬も終わりを迎え、やわらかな春の日差しのもと、早くも桜の開花する季節となりました。この春のよき日に、保護者の皆様のご臨席を賜り、埼玉県立浦和高等学校 第七十四回卒業証書授与式を挙行できますことを、心より嬉しく思います。 

 

 351名の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。卒業生並びに保護者の皆様に心よりお祝いを申し上げます。

 

 皆さんはこの二年間、新型コロナウイルス・パンデミックによる様々な制約が課された中での浦高生活を余儀なくされました。当たり前に享受していたことが、実は当たり前ではなかったことを痛感し、世界中の人々が持って行き場のないものへの対処に苦慮し続けています。人類がこれまで築き上げてきた人間社会や地球環境が、新型ウイルスひとつでその脆弱さを露呈することとなりました。社会の発展とともに、欲望や欲求を満たすべく様々なものを作り上げ、地球環境を我がもの顔で改変し続けてきた人類が、これから地球環境とどのように共生していくのか、大きな課題を突き付けられています。

 さらに、ここにきてロシアによるウクライナ侵攻という、国際秩序を揺るがすたいへんな事態が起こりました。世界のこれからにとって、そして日本にとっても、極めて深刻な事態です。

 

 でも、このような状況のなか、ただただ悲観していても仕方がありません。自らが担うであろうこれからの世界を、輝きのあるより良いものになるように、皆さんには将来への期待と希望を持って、これからのキャリアをスタートさせてもらわなければなりません。

 これまで前例のないパンデミックにより、皆さんの浦高生活はイレギュラーなものとなりました。でも、皆さんは自らをコントロールし、仲間とともに切磋琢磨しながら立派によくやった、やり抜いたと思います。三年次での修学旅行と北川辺をゴールとする強歩大会を両方経験した唯一の年次として、浦高の長い歴史の中でも高七十四回は記憶に残る特別な代です。その意味でも、この貴重にして得難い経験を、今後のキャリアに活かさない手はありません。浦高で鍛えた知力、体力、精神力は、必ずや皆さんの強みとなるはずです。

 

 浦高では皆さんに、世界のどこかを支えるリーダーとなってもらうべく、知性あふれるタフで優しい大人へと成長を遂げてもらう環境を用意し、励ましてきました。ここでいう「タフさ」や「優しさ」は、「レジリエンス」や「共感力」と言ってもいいものです。 

 しかし、浦高を一歩出れば、今の世の中の傾向として、リスクを回避して労せず結果を求める風潮、長期的な視野で思考・判断する余裕を持たず、短期的な成果や結果ばかりを追い求める風潮が強まっています。寄り道することを良しとせず、最短距離で効率ばかりを優先する思考に陥っているようにも見えます。他人のことを過度に気にする世間の同調圧力も、依然強いものがあります。悪く言えば、自己判断なく多数派について勝ち馬に乗ろうとする、打算的で日和見的な空気感です。

 また、SNSの世界でも実生活でも、グローバル化とデジタル化の進展により、世界は大きく広がりました。でも、広がったがために人々の視野は狭まり、同じ意見の者同士でコミュニケーションを繰り返して特定の信念が強化されるという、いわゆるエコーチェンバー現象も顕在化してきています。フェイクニュースなる言葉が一般化したことなどはその典型であり、まさに画一化傾向です。

 

 人類はSociety 5.0の時代を迎える日も近いとされますが、先を見通すことが困難な、不確定で予測不能な社会の到来でもあります。そんなこれからの社会だからこそ、新たなイノベーションを起こし得る社会をつくっていかなければなりません。国でも、そのためには多様性が不可欠であり、新たな破壊的なイノベーションを起こす個人を許容しないような現状からは速やかに脱却しなければならない、という強い課題意識を持っています。 

 さて。ここでキーワードになるのが「多様性」です。「失敗の科学」の著者で知られるマシュー・サイド氏の最新刊によれば、多様性というとこれまで人権問題や倫理的な問題として語られることがほとんどですが、それのみならずこれからの時代に必要となる新たなイノベーションを起こす要因としても、今や多様性が極めて重要であることが認識されています。現代社会がますます複雑化し、様々な難題に個人で挑むには問題が複雑すぎて対処しきれなくなっている。研究分野でもビジネス分野でも、人間の創作活動において最も顕著に見られるトレンドは、個人からチームへのシフトだというわけです。

 

 浦高は開校以来、全人教育、教養主義を標榜し実践し続けてきていますが、それは世界のどこかを支えるリーダーにとって、それが必要不可欠だからです。東京大学元総長の濱田純一氏の当時のことばを借りれば、教養というのは時間や空間を超えた多様な知識・知恵のことです。それらを自分の中に取り込んでいく過程で、自身の知識が増えたり、あるいはこれまでの自身の考え方の見直しを迫られたりするわけです。また、さまざまな経験を通して、多様な状況に対応することができる力が身に付いていくわけです。多様な考え、多様な状況をまずは受け入れ、それを取り入れたり、自らの考えを修正したりしていく。教養を育むには多様性が必要不可欠なのです。

 

 そこで、皆さんには多様性に関連して、ふたつアドバイスをしたい。

 浦高で育んだ教養は、まだまだ十分なものではない。これからのキャリアで、ぜひとも更に深く教養を磨き上げてほしい。タフさにも、更なる磨きをかけてほしい。これがひとつめです。タフさとは、どのような状況の中でも主体的に考えて能動的に行動していくことを持続できる力だと言われます。「能動的に」、「持続できる」、といった力は、学問をするときはもちろん、現在のような状況においては、とりわけ必要な力です。

 それでも、自分ひとりの持つ知識だけでは、複雑な課題には太刀打ちできないでしょう。だから、個人ではなくチームだといわれるわけです。ただ、そのチームも多様性に富んだ集団であることが必要で、多様なメンバーが互いを尊重してきちんとコミュニケーションをとり、互いの反論を受け入れ、他者から学び、協力し合えなければなりません。そして、既知のアイデアに触れ、新たなアイデアをひらめき、他のものとの融合が図られる環境が必要です。さらに、それを互いに共有してこそ、新たなイノベーションへとつながるアイデアや技術が生まれるということです。そしてリーダーは、賢明な判断には集団の知恵が欠かせないことがわかり、メンバーの声によく耳を傾け、進んで情報を共有し、集団の知恵を結集することができる、そういう強さと共感力が求められます。

 多様な考えに耳を傾ける、反論を受け入れる、集団の知恵を結集する。頭では理解したつもりでも、その実践には相当の強さと共感力が求められることは想像がつくでしょう。ですから皆さんには、これから先もこの「強さ」と「共感力」とを磨き続けてもらいたい。これがふたつめです。

 

 地球環境、国際情勢といった複雑な現代社会の課題解決の糸口を探りつつ、Society5.0の時代という未知なる未来の到来にあたり、皆さんが浦高で培った力を頼りに、世界のどこかでその世界を支えるリーダーとして活躍してくれることを強く願います。

 

 そして、そのときのためにもうひとつ。皆さんには浦高同窓生であることを生涯にわたり心に留めておいて欲しい。自慢することではないし、人に言う必要もない。でも、先ほども言ったように、浦高で鍛えた知力、体力、精神力は、必ずや皆さんの強みとなる。そのことに、密かな自信は持っておいて欲しい。そして、これからのキャリアで、どこへ行っても何かのときには頼りになる浦高同窓生がきっと近くにいる。そのことも覚えておいて欲しい。

 先日、浦高同窓会の事務局に寄せられた、ある同窓生のエピソードです。

 その方は、卒業後に同窓生との交流はほとんどなかったものの、浦高同窓生であることには誇りを持っておられたそうです。昨年、体に異変を感じ、しばらくして病院で重い難病であることが判明します。今年に入って訪問診療も受け始めたそうですが、そのときに訪問診療の医師と病院の主治医がともに浦高同窓生であることを知り、驚きかつ嬉しさでいっぱいになったそうです。

 こう綴っておられます。

 病院の主治医と訪問診療を行ってくださるクリニック院長という、これからもっとも頼りとする最重要な二人が、時期は違いますが同じく領家でまぶしい青春時代を送った後輩にあたるなんて。埼玉ではない地で、こんな出会いがあるなんて。まさかこんな偶然が重なるなんて。とても不思議な感じを受けるとともに、自然と涙があふれてきました。そして、母校が浦高でなかったとしたら、仮に同じような偶然に出くわしてもこれほどの感激と安心感はなかったであろうと確信しました。

 病気になったことで、本来は会える可能性がゼロに近かったとても優秀な浦高の後輩たち、医療の世界で患者を想い、一生懸命尽力されておられるお二人に出会うことができ、そのご活躍をこれからまさに最前線で見届けることができる。二人の強い味方を得たことで、これからの闘病生活に張りが出ることは間違いありません。この出来事をなんと表現したら良いのでしょう。うまい言葉が見つかりませんが、強いて名付ければ「母校がつないだ運命の糸」とでも申しましょうか。この糸に感謝し、素晴らしい後輩達の助けを借りながら闘病を頑張り、残りの人生を精一杯謳歌していきたいと思います。

 この方の病が、軽快されることを願うばかりです。この領家の地で浦高生活を過ごした浦高同窓生は、それこそ世界のいたるところで、その世界を支えるリーダーとして活躍しています。皆さんにも、将来、何らかの形で世代を超えて浦高同窓生と交わる機会がきっと来るでしょう。そして、その出会いが皆さんにとっても、皆さんの周りの方々にとっても、必ずや幸せにつながることでしょう。

 繰り返しますが、皆さんには浦高同窓生であることを、そして皆さんの周りにはたくさんの浦高同窓生という仲間がいることを忘れずに覚えておいてください。

 

 最後になりますが、保護者の皆様におかれましては、ご子息のご卒業、誠におめでとうございます。重ねてお慶びを申し上げます。三年間の浦高生活を全うし、心身ともに大きく成長したタフで優しい卒業生諸君の姿を前にして、とても頼もしく思います。

 この三年間、本校の教育活動に格別のご支援とご協力をいただき、誠にありがとうございました。できますれば、今後とも浦高に対する変わらぬご支援を賜りますよう、お願い申し上げます。

 

 結びに、第七十四回の卒業生全員が、世界のどこかを支えるべく前途洋々たる人生を歩み、広き宇内に雄飛せんことを心より期待して、私の式辞といたします。

 

令和四年三月十六日

埼玉県立浦和高等学校長 水石明彦

 

三学期始業式

 あけまして、おめでとうございます。

 令和4年を迎えました。今年が皆さんにとって素晴らしい年になりますことを祈っています。

 

 二年にも及ぶ新型コロナウイルス感染症による様々な制約の中、個人的には改めて「基本」の大切さということを感じます。小手先の策や他人まかせは通用しない。自分というものをしっかり持っていなければと思うわけです。

 

 この年末年始、しばしのんびりとテレビを見る時間がありました。今日は、見た中で最も記憶に残った番組をご紹介したい。それは、NHK-BSで放送された「BS1スペシャル」。「陸上短距離革命 ~イタリア金メダルの秘密を探る~」という番組です。

 昨年の東京オリンピックの陸上競技、男子100mと男子4×100mリレーで金メダルを獲得したイタリア代表チームへの取材番組です。このイタリア陸上界のたいへんな快挙の秘密に迫ろうというものです。

 男子100mで優勝したのは、ラモント・マイセル・ジェイコブズ選手。走り幅跳びで前回のリオデジャネイロ大会の代表選手候補になるものの、左ひざの怪我で選考レースを断念。その後の復帰戦でも記録なしで敗れ、跳躍競技の選手生活を断念する。目標を見失っていた中で、メンタルトレーナーからの「あなたの目的は何なの?」との問いかけから、前向き思考を取り戻し、自分の才能と潜在能力を再確認することで100mへの転向を決意する。転向してみると、元々100m選手としての才能、能力に長けていたことも再認識することとなり、跳躍が専門のコーチとのトレーニングが再び再開されることになる。コーチのアイデアによる「スクード(盾)」なる秘密兵器が生み出され、昨年4月に練習に導入されると、5月の選考レースでイタリア記録を叩き出して一躍国内第一人者に踊り出る。そして、遂に8月のオリンピックに出場。イタリア選手はこれまで準決勝にすら進んだことのない男子100mの決勝で、ヨーロッパ記録を叩き出しの見事な優勝を果たすという快挙を達成してしまう。

 一方のリレーチームは、コーチが日本のリレーチームを目標にバトンパスに磨きをかけるという戦略を立てて、「プッシュプレスパス」という方法を採用する。リレーチームは、それから日々バトンパスの基礎練習を繰り返し、精度を上げていくことになる。当時の映像を見た日本チームのコーチによると、それは中学生がやるような練習。でもそれは悪い意味ではなく、一番最初にやるような基礎的なことを、すごく大切にしているということ。レベルが上がると普通疎かにしがちな練習だが、それをこれだけ高いレベルにある選手たちがやらされているというのではなく、心から大切だと思ってやっている。

 そして、迎えたオリンピック。決勝では、受ける選手のスタートを早めるべく、ミスの出た予選よりもチェックマークを1.5mも遠ざけるという決断をする。メダルを勝ち取るためには、リスクを冒さなければならない。その決断が、見事に金メダル獲得という結果をイタリアチームにもたらすことになる。実は、日本チームもメダル獲得のために、その同じ決勝でチェックマークを遠ざける作戦を取っていた。それが、今回は残念ながらバトンが渡らないという結果となった。いざとなれば、それだけ大きなリスクを冒してでも、挑むことが必要だということがよくわかる。

 

 さて、今年度も残り三か月。受験に向けた追い込みや次年度を見据えた取組み等、皆さんにとって大変重要な時期になる。まずは感染防止を含めた健康管理に万全を期すこと。そして、何とかなる、何とかしてやるという気概と自信を持って、焦らず慌てず、妥協することなく、持てる力を存分に発揮してもらいたい。

 充実した三学期を送ってもらえることを願っています。

 

二学期終業式

 昨年来の新型コロナウイルス感染症による日々の生活への影響が、今もって続いています。一昨年までの生活に完全に戻ることは、もうないと考えるべきでしょう。これからの人類は、ウイルスをはじめ、この地球環境とうまく共存していく新たな生活観を確立する必要に迫られていることに、もはや疑いの余地はありません。

 幸い、本校は今年度の学校行事をほぼすべて実施することができました。ラグビー大会・バスケットボール大会も先週無事に終了することができました。これも、君たち浦高生の自覚と、保護者や同窓会の大きなご支援があったからこそのことです。また、これは浦高の生徒職員が、やり方を工夫して、皆で知恵を出して、それを実現させる強い思いがあったからに他なりません。 

 ここにきて、新たな変異株であるオミクロン株による感染拡大が全世界的規模で大きな懸念要素となっています。まだはっきりしないことも多く、先行きは不透明ですが、専門家いわく、いま我々が取るべき態度は「適切に恐れること」だという。それはそのとおり、正しいと思います。

 ただ、実はこの適切に恐れるという行為はそんなに簡単ではない。なぜなら、それには「知」が不可欠であり、しかも断片的な知識をただ持っているというのではなく、知識を結びつけて体系化できなければならない。そして、適切に判断して行動できなければならない。これをするには、まさしく高度な教養と実践知の両方が必要となる。まさに、君たち浦高生が浦高生活の中で自ら磨いているものだ。

 

 いまの世の中は、自然環境、国際情勢、格差をはじめとする様々な問題が山積している。一方で、いかにリスクを回避するか、楽して、欲しいものを手に入れるか、という心理がまん延しているように思える。

 そんないまを高校生として過ごす君たちではあるが、不安感から極端な言説に飛びついたり、直近の成果ばかりを追い求める思考に走ってはいけない。何事も焦りは禁、まずは基礎固めである。必要な教養と実践知、精神的逞しさ、自己管理力をしっかり身に付けておかなければならない。人としての基礎が盤石でなければ、この先高みを目指しても途中で崩れてしまう。人としての、リーダーとしての基本を、高校、大学時代にしっかり身に付けておくことが、その後の人生にとって何よりも大事なことだと思う。そして、それができるのが浦高生の強みなのだと思う。

 世の中の様々な情報にアンテナを高く張りつつ、世界のどこかを支えるリーダーとしての基礎固めをすべく、アクティブな浦高生活を引き続き楽しんでもらいたい。もちろん、大学進学後も然りである。

  基礎を固める。基本を怠らない。新たな年を迎えるにあたり、ぜひ現状確認をしておいてほしい。

 

 最後に、上グラの人工芝化についてお知らせしたい。浦高は、教育環境整備事業という県の事業を2年前から利用して、上グラの人工芝化を目指しています。安全面に配慮したスポーツ環境整備のためです。ただ、この事業は賛同していただいた個人や団体からの寄付金が原資となるため、十分な寄付金が集まらなければ実現しません。ふるさと納税制度が利用できるとはいえ、この事業の認知度が低く、目標額にはまだまだ足らない状況です。そこで、同窓会やOBの有志が中心となって、様々な取り組みを展開し始めてくれています。正門横の横断幕もその一つです。とはいえ、君たち在校生やその保護者からは寄付をいただくことはできない制度ですので、寄付のお願いをしたくて話をしているのではない。ただ、浦高がこのような取り組みをしていることを、浦高生である君たちにも知っておいてもらい、気持ちだけでも応援してもらえるとありがたいと思う。将来実現すれば、君たちの後輩がその恩恵にあずかることができる。今日のHRで担任の先生からOB有志が作成したチラシを配布してもらうことになっています。家庭に持ち帰り、保護者の皆さんにも見てもらってほしい。よろしくお願いします。

 

 間もなく迎える2022年が、少しでも素敵な年になることを願っています。

 よい年をお迎えください。

 

二学期始業式

 2学期が始まりました。

 他の進学校では、すでに2学期が始まっているところも多いようですが、浦高は従来通り9月1日が始業式です。想像するに、世間の多くの中高生やその保護者は、早く2学期を始めてくれる高校をよく面倒を見てくれるいい高校だと評価するのかもしれない。でも、浦高はそうはしない。昨年度は国や県の指示で夏休みを短縮したが、浦高の本意ではなかった。なぜかわかりますか。

 1学期の終業式で、君たちに「この夏休みをどう過ごし、9月1日にどれだけ充実した顔で再び集まるか、楽しみにしている」と言った。「明日からの夏休みを有効に、有意義に過ごしてほしい」とも言った。浦高生にとっての夏休みは、1学期の状況と2学期以降の見通しを踏まえて、各自が自分の裁量でよりよい生活をマネジメントして実践する、ものすごく貴重で重要な長期休業期間であると浦高では考えている。だから、そう言った。よりよい生活プランは、個々によってまちまちなはず。それを学校が一律にコントロールするのは得策ではない。各自のベストプランがまちまちである以上、それは各自が自分の力でマネジメントして実践してみるのが最も有効かつ効率の良いやり方であることは自明である。そして、浦高生ならそれができる。自分でやる経験を積んでこそ、セルフマネジメント力も洗練されていく。そういうことです。今年の経験はぜひ来年に、来年の経験は再来年にと、活かしてほしいと思う。

 

 さて、夏休み前の期待に反して、パンデミックが世界的に益々日々の生活を厳しいものにしてきています。変異株のまん延による感染拡大、それに伴う医療崩壊の危機、学校再開による更なる感染拡大への不安など、これまで経験したことのない厳しい状況の中で、日々の生活での危機感の高まり、多くの制約の中で困難さを増すメンタルコントロール、リーダーによる決断の困難さの増大、等々、様々なことがここにきて露呈してきています。これだけの状況を目の当たりにしつつ、先への確かな見通しを誰も持てないでいる。このような生活が、しばらくは続くことになります。

 こんなとき、本来我々には、有益なシグナルをキャッチすべくアンテナを高く張り、たくさんの情報に含まれるノイズからシグナルを見分け、そのシグナルを踏まえてできる範囲で適切に判断するといったことが求められます。これは、前にも話しましたね。ただ、冷静さを失わずに、このような状況下で適切な判断ができる状態を保つこと自体、易しいことではありません。 

 では、こんな状況下で適切に対処していくために我々が発揮すべき力、心もちとはどのようなものなのか。私見であるが、いくつか挙げてみます。

 まず、大前提として。この状況下では、どんなに気をつけていても日常生活を送る以上は、全ての人に感染する可能性はある。だから、感染してしまったとしてもその人に責任はないし、感染したこと自体は仕方がないことと整理すべきである。そのことを誰もが踏まえて、他者への配慮、気遣いとともに、誠実さ、謙虚さ、公共心といったものを、このような時こそ発揮しなければならない。そして同時に、だからこそ感染防止には相当の覚悟をもって、誰もが最大限努める。そして、そのためには何を優先するのかを見誤ることなく、論理的な思考で適切に判断し行動することが求められる。さらには、自分が感染してしまう、あるいは感染しなくても楽しみにしていたものが突然中止になる、参加できなくなる、しばらく自宅待機になる、ということがいつでも起こり得る中で、各自が自己のメンタルを適切にコントロールできるだけの強い精神力を発揮できなければならない。そのためには、自分の力ではどうしようもないことに振り回されていてはいけない。「しょうがない」と、気持ちを切り替えることができるかが、個々に問われることになる。

 

 いつくか挙げてみました。もう気付いたと思いますが、今挙げたものはどれも君たちが浦高生活で普段から鍛えているものばかりです。つまり、今回のパンデミックは自らの日ごろの鍛錬の成果を発揮する機会でもあり、更なる鍛錬の場でもある。そう前向きに考えて、是非この状況の中でも明るく前向きに日々の生活を過ごしてもらえればと思います。 

 

 最後に、先ほども言いましたが、学校が再開されることで更に感染が拡大するのではないかとの不安が増大している。浦高としても、できる限りの感染拡大防止策を講じるとともに、感染者が出た場合の対応についても君たちと保護者の皆様に事前にお知らせすることにしています。このあと、詳しい説明がありますからよく理解してほしい。浦高生の力に期待しています。

 

一学期終業式

 今日は、久しぶりにラグビーの話をします。というのも、ラグビーの母国、イングランド、スコットランド、アイルランド、ウエールズの4協会合同で4年に1度だけ編成するドリーム・チーム、B&Iライオンズが今まさに南アフリカに遠征中だからです。そして、今週末からいよいよWCチャンピオンである南アフリカ代表スプリングボクスとのテストマッチ3連戦が始まります。この世界のラグビーファン羨望のライオンズが、今回の遠征に先立って6月にエジンバラでJAPANとのテストマッチを行いました。ライオンズの相手としてJAPANが選ばれたこと自体がすごいことで、結果も10-28で敗れたとはいえ立派なものでした。

 ところで、日本ラグビーはどうやってここまでの力をつけることができたのか。昔からのラグビーファンには、信じられないような進歩です。かつての日本は、1987年代に始まったWCに全大会に出場しているとはいっても、第7回大会までは7大会合わせてもジンバブエ代表戦での1勝のみでした。イギリス、アイルランドの4協会に、フランス、NZ、オーストラリア、南アフリカといった、ティア1といわれる強豪国には全く歯が立たず、ワールドカップ以外ではテストマッチすらめったに組んではもらえなかった。国内では早慶明、それから筑波といった大学ラグビーの人気が最も高く、社会人ラグビーはさほど人気がありませんでした。日本ラグビーは、まさに井の中の蛙状態だったと言っていい。

 それが、2019年大会の日本開催に向けての動きで様相が大きく変わってきます。思うにその肝は、世界のラグビーを知り追いつこうと、世界に出ていく、世界レベルを招く、ということに本気で取り組み始めたことにある。例をあげれば、SHの田中史朗選手が世界最高峰のリーグであるスーパーラグビーのNZ・ハイランダーズに加入した。元オーストラリア代表監督のエディー・ジョーンズ氏、ロビー・ディーンズ氏といった名将がサントリーやパナソニックなどの監督に就任して、直接日本選手を指導するようになった。元オーストラリア代表SHのジョージ・グレーガン選手や元NZ代表SOのトニー・ブラウン選手といった世界最高レベルの選手たちが日本でプレーするようになったことで、その生活やプレー、戦術、指導に触れる機会が一気に増えたことが決定的に大きかった。そして、2015年WCでのエディー・ジョーンズ監督率いるJAPANが南アフリカ代表を破るなどの躍進以降、ティア1とのテストマッチが大幅に増えたことで、世界レベルの相手を体感する経験を重ねたことが、JAPANの意識、気力・体力・精神力、さらにスキル、戦術を飛躍的に高めていくこととなったのではないかと思う。

 今や、2019年のWC日本大会でベスト8入りを果たしたJAPANは、ティア1にも仲間入りし、アウェーでライオンズやアイルランド代表と堂々たる戦いをするまでになっている。

 今週始まるオリンピックでも、活躍が期待される競技や選手には、ある種共通する状況がこれまでにあったのではないかと想像します。

 

 そこで、これを一般化してみようと思う。成長するための肝は何か。それは、「本物を知り、本物の場に身を置き、本物に触れ合い、本物と勝負するといった機会を、いかに掴み、そして活かすか」ということに尽きるのではないか。井の中の蛙ではだめなのである。この位でいいやと言っているようではだめだということです。

 これについては、大学進学に関する大学入試センターの研究でも、教育社会学の立場から似た指摘がされています。自分の身の丈に合ったちょうどいいくらいの大学を目指したいという「身の丈大学志向」は、高校生活での学習時間の増加を妨げる方向へ作用する。つまり、自らに限界を設定し、将来の可能性を閉ざしてしまうことにつながりかねない、という指摘です。

 

 さて、今年の浦高生は、全ての年次が7月に宿泊行事を経験しました。これは、昨年一年間の学校行事が、コロナ禍によってほとんど行えなかったことを踏まえて、君たちに真の浦高生として、この夏以降、より一層濃密な浦高生活を送ってもらうためのスペシャルプランでした。君たちには、期待通り行事を満喫してもらえたことと思います。

 これからいよいよ浦高生としての本格的な生活を始める一年次生、真の浦高生として二年次だからこそ味わえる浦高生活をこの夏以降満喫しにかかる二年次生、そして大学入試も見据えて浦高生活の総仕上げに取り掛かる三年次生が、この夏休みをどう過ごし、9月1日にどれだけ充実した顔で再び集まるか、今からとても楽しみです。

 そのためにも、自分が井の中の蛙、身の丈志向になっていないか、なっているならそこからいかに脱するか、そして本物に触れ、本物と本気で勝負する気概があるか、このことをこの終業式というタイミングで各自が確認したうえで、明日からの夏休みを有効に、有意義に過ごしてほしい。

 コロナ禍での酷暑の夏です。感染防止と体調管理にはくれぐれも留意し、セルフマネジメント力を如何なく発揮して、9月1日には元気で顔をそろえてほしいと思います。

 いい夏を過ごしてください。終わります。

 

令和三年度入学式式辞

 正門前の桜も花から新緑へと装いを変え、まさに若い命が躍動する季節がめぐってまいりました。春本番を迎えたこの良き日に、令和三年度埼玉県立浦和高等学校入学式を挙行できますことは、本校関係者一同の大きな喜びでございます。

 

 ただいま入学を許可しました357名の新入生の皆さん、入学おめでとうございます。皆さんは、新制高校となって第七十六回の浦高生です。在校生、教職員を代表して、皆さんの入学を心より歓迎いたします。

 そして、保護者の皆様には、本日ご臨席いただくことができませんでしたが、皆さんの浦高入学を何よりも喜んでくれていることと思います。

 

 本校は明治二十八年、埼玉県第一尋常中学校として浦和の鹿島台の地に開設され、明治から大正、昭和、平成、そして令和と、126年の歴史を刻む県内屈指の伝統ある進学校です。これまで三万五千人を超える卒業生を世に送り出し、旧制中学校以来の校訓である「尚文昌武」、文を尚び武を昌んにす、を教育理念に掲げ、これからの時代の求めるリーダーを育てる教育を行ってきています。

 

 さて、今世界は気候変動など地球自然環境の急激な変化に見舞われています。人類による地球資源の開発等に伴い、地球の温暖化がかつてないスピードで進んでいます。少子高齢化や地方の過疎化、生産年齢人口の減少などの社会課題も極めて深刻な問題です。AIやIoT、ビッグデータといった新たな価値の創造により、世の中の価値観も生活スタイルも大きく変わりつつあります。二十一世紀を迎えて久しい今日に至り、ますます先がどんな時代なのかが見えない、劇的な変化の只中にあるといっても過言ではありません。

 そこに、新型コロナウイルス・パンデミックという過去百年に人類が直面したことのない緊急事態がおこりました。「民主主義」や「市場経済」を根底から揺るがす危機とさえ言われる事態です。

  浦高の先輩である佐藤優氏は、最近の著書で「新型コロナウイルスの全世界的流行によって二十世紀の残滓は消え、二〇二〇年から本当の二十一世紀が始まった、というのが私の作業仮説」であるとしたうえで、「新しい世紀において、新自由主義が世界を覆いつくすのか、そんなグローバリズムへの反動が来るのか、あるいはヨーロッパで先行して見られる環境ファシズムみたいな運動が力を持つのか、もしくは全然違った勢力地図が出来上がるのか、そこはわからない。そんな海図なき時代こそが新しい世紀の特徴なのかもしれない。」と述べています。

  つまり、現代を生きる我々は、こうした様々な危機を乗り越えて、新たな世界や社会を構築していかなければならないということです。では、その役は誰が引き受けるのか。もちろん、今まさにその任にある大人世代は、その責任を果たすべく力を尽くしています。でも、海図なき時代の新たな世界や社会の構築には、文字通り限りない情熱と覚悟、そして何よりも新しい発想が求められることになるでしょう。だとすれば、未来に向かって新しい時代を切り拓き、新しい時代の価値を創造していく役割は、これからの将来ある若い人たちが担うしかない。これから先の時代は、皆さんのような若い人に託されています。

  この役割が担えるかどうかは、柔軟な頭で新しいものの見方ができるかどうか、秘めたる情熱と豊かな教養を持って、たくましく豊かに成長していくことができるかどうかにかかっています。ですから、皆さんには三年間の浦高生活で、ぜひともその土台を築き上げてもらいたいと思います。

 

 そこで、今日はそのための心得をお話しします。それは、「基本」をしっかり身に付けよ、ということです。

  ここでいう「基本」とは、皆さんがこれからの人生を切り拓いていくための土台となるものすべてであり、知識とスキルの両方を含みます。広い意味での「教養」あるいは「リベラルアーツ」といってもいいものです。よく言われるように「自分の頭で考える」ことの大切さは、皆さんもわかってはいるでしょう。でも、勉強一つとってみても、何をやるか、どうやるか、どこまでやるか、といったことを、自分なりに考えてやってきた人は、あまりいないのではないか。周りの言うことをよく聞いて、言われた通りにやってきたという人が多いのではないか、という気がします。

  「自分の頭で考える」には、物事を正しく判断するために思考を深めていけなければなりません。それを可能にするには、十分な語彙力と幅広い基礎的な知識が必要となります。そして、この知識や思考力の獲得には、忍耐力や意欲といった目標の達成に関わるスキルがものをいいます。また、ヒトは社会的な生き物です。様々な関わりの中で正しく判断し行動するには、協調性や共感性といった他者との協働に関わるスキルが必要不可欠です。さらに、豊かな心をもって人生を切り拓いていくには、自尊心や自信といった情動の制御に関わるスキルが欠かせません。これらは「非認知的スキル」といわれるものですが、身に付けておくべき大切な基本です。

  高みに上るための階段も、土台がしっかりしていないと何かのはずみで倒れてしまいます。階段を支える土台は、広いすそ野を持ち、強固でなければなりません。その土台をつくり上げるのが、これからの高校生、大学生の時期なのです。ですから、勉強はもちろんですが、それ以外の興味や関心のある様々なことに、皆さんはチャレンジするべきです。短い射程で結果ばかりを求めるのではなく、人生という長い射程で物事を判断し、高校生という時期に見ておきたいもの、経験しておきたいもの、身に付けておきたいものにチャレンジすべきです。失敗もするかもしれない。挫折もするかもしれない。でも、その経験も含め、皆さんのこれからの人生を切り拓いていくための土台になるのです。

 

 浦高には、皆さんがこれらの「基本」を身に付けるための最高の環境が用意されています。浦高での生活すべてを楽しんでもらえさえすれば、高校生として最高レベルの知識はもちろんのこと、非認知的スキルを含む「基本」が身に付く環境、すなわち皆さんを大人へと鍛えあげる環境がここにはあります。ですから、皆さんにはとにかく浦高生活のすべてを思い切り楽しんでもらいたい。

  ただし、楽しむためにはコツがあります。

  一つは浦高生活を楽しむための必要条件、自分でタイムマネジメントができることです。やりたいこと、やるべきことがたくさんある皆さんには、様々なスパンでそれらを適切に整理できなければなりません。もちろん、はじめは難しいでしょう。でもやりながら自分なりのマネジメント法を見つけ出してもらいたいと思います。

 二つ目は浦高では仲間とともに学び、切磋琢磨すること。高校でも大学でも、学びの環境として大事なこととして、「誰と学ぶか」があります。高校・大学選択は、すなわちどんな生徒・学生集団の一員になるかを選ぶことでもあるのです。浦高を選んだ皆さんは、ここで出会った仲間たちと遊び、教え合い、議論し、励まし合い、助け合うことができる。その生活こそが、皆さんにとってかけがえのない成長の場となります。

  三つ目はこの環境を活かすコツ、浦高生活すべてに全力で取り組むことです。全人教育や教養主義を標榜している本校は、勉強はもちろん、伝統の学校行事も、部活動も、どれも皆さんが本気でチャレンジするにふさわしい、質と難易度を誇っています。一人ではあまりにも過酷で困難に思えるものも多くあります。でもそれは、「知・徳・体」をバランスよく鍛えてもらうための仕掛けです。目先の成果ばかりを追って小さくまとまることなく、何十年も先を見据えてとことんチャレンジせよというメッセージです。もっとやれる、もっと完璧に、という気持ちで取り組んでもらいたいものです。

 

 最後になりますが、オンラインでご覧の保護者の皆様におかれましては、重ねて入学のお慶びを申し上げます。本日より、大切なお子さまを浦高生としてお預かりし、責任をもってお子さまの力をしっかり伸ばしてまいります。

  私たち教職員は、浦高の教育に誇りをもって全力で日々取り組んでおります。浦高が持つ輝かしい伝統と、これまでに育んできた様々な仕掛けを駆使し、必ずや少年のお子様たちを、心身ともに逞しい大人の青年へと導いてまいります。是非、浦高の教育力を信頼していただくとともに、何かございましたら遠慮なくご連絡をいただき、家庭と学校とでお子さまの成長に向けて、歩調を合わせて取り組んでいけたらと思っております。何卒、御支援と御協力をお願いいたします。

 

 それでは、皆さんが浦高生活を思い切り楽しみ、たくましく成長してくれることを心から願い、私の式辞といたします。

 

令和三年四月八日

埼玉県立浦和高等学校長 水石 明彦

 

3学期終業式

 皆さんおはようございます。

 令和2年度も終わりを迎えました。新型コロナウイルス感染防止に明け暮れた一年でした。でも、年度末になって、やっと体育館に全員集合しての終業式が実現しました。応援団も復活しました。もうしばらくは、感染防止策をしっかり講じつつの浦高生活となりますが、来年度に向けての大きな前進です。

 

 去る3月11日で、あの東日本大震災からちょうど10年となりました。被災された方の心の傷は癒えることはないでしょうし、復興への道のりもまだまだ道半ばです。我々は、震災から得られた教訓を決して忘れることなく、これからの世の中に活かしていかなければなりません。10年が経った今、改めてそのことを確認しておきたいと思います。

 皆さんは、自然への脅威を再認識することとなったこれらの事態や、目まぐるしく変化する激動の社会を目の当たりにしています。浦高OBの佐藤優さんは、最近の著書「新世紀『コロナ後』を生きる」で、「新型コロナウイルスの全世界的流行によって20世紀の残滓は消え、2020年から本当の21世紀が始まった、というのが私の作業仮説」だと書かれている。とすると、皆さんは本当の意味での新たな世紀の幕開けを、浦高生として迎えていることになる。では、新しい世紀とはどんな姿なのか。「それはわからない。海図なき時代こそが新しい世紀の特徴なのかもしれない。」と佐藤さんは続けています。

 となれば、その姿を創り上げていく役を担うのは、将来の皆さんだということになる。少なくとも、これまでは通用していた前例を踏襲するだけの思考停止の策や、リスク回避、責任回避の策などが、全く通用しないであろうことは明らかですから、様々な試行錯誤を繰り返しながら、新たな姿を創造していく気概を持つことが求められます。

 

 さて、3年次生は、先日立派に浦高を卒業していきました。浦高生活の最後の一年に大きな制約が課せられた中、彼らなりに奮闘して今春の大学入試では東大をはじめとする多くの大学への進学を決めました。一人一人が本当に良く頑張ったと思います。もちろん、あと一歩、あと1点が届かなかった生徒もいました。悔しい思いをしたはずです。でも、その悔しさが、次のチャレンジへの力になる。卒業生はもちろんですが、我々も皆さんも、その「あと一歩をどうするか」を、次なるチャレンジに生かすことが大事だと思います。

 皆さんもこの一年、持って行き場のない不安や苛立ち、ストレスなどへの対処に苦労したことと思います。年度当初からの臨時休校、学校行事の多くが中止となり、部活動も大きく制限された結果、仲間とともに事を成す機会が失われ、切磋琢磨の機会も限られた一年となった。結果的に、学習時間が伸びて学習面ではプラスに作用した側面もあったかもしれない。まずは皆さんなりに、この一年の自分の生活を総括してみてほしい。 

 4月以降も、当面は一定の制約が続くことになる。でも、来年度は本来に近い浦高生活を皆さんに送ってもらえるよう、学校行事等の実施に向けて準備したいと思っている。そうなったとき、今年の経験も生かして、どのようにタイムマネジメントをするか。何を重視するか。一日、一か月、一年というスパンで、どうバランスをとるか。そこが、考えどころとなります。皆さん各自の責任と判断で、自分にとって最適といえるタイムマネジメントをしてもらいたいと思います。

 

 それから、もう一つ。これから先の海図なき時代に、リーダとして活躍してもらいたい皆さんにとって、高校・大学時代というのは、その後の人生のための、盤石な土台をつくっておく時期にあたる。その意味で、これまでも指摘されているかとは思うが、「公共心」についてもう一度確認してみたい。

 「公共心」とは、「公共のためを思う心」ということですが、平たく言えば「周りの人、他者、みんなへの気遣いができること」だと思います。そのための一つの視点として、公共空間における他者に対する想像力、つまり、自分の行動が周りの人にどう見えるか、どう影響を及ぼすことになりそうかを想像できるか、ということです。 

 わかりやすい例として、混雑している大宮駅のコンコースをイメージしよう。自分が進みたい方向と周りの人が進みたい方向がクロスしそうになることは、混んでいれば頻繁におこる。そのとき、互いが相手の進みたいと思われる方向を認識して、軌道がクロスするのを回避しようとすれば、無理なくスムーズにすれ違うことができるだろう。そんな意識を多くの人が持っていれば、混雑している中でも秩序ある流れが生まれたりする。これって本来、周りの存在を前提として、自分の行動とうまく折り合いをつけるという、極めて当たり前なことです。ところが、それがうまくいかずに、トラブルになる場面を見かけることもある。 

 何のことはない日常の一コマであるが、各個人の他者への想像力の有無が、こういった日常の一コマに顔を出したりするものだと思う。公共空間における周りの存在への想像力。皆さんには、想像力ある行動、振る舞いをしてもらいたい。ひょっとしたら想像力が乏しいかもと思った人は、今後はぜひ意識して行動してほしい。

 蛇足ながら、人は余裕を失うと、自分の事を優先するあまり、ついついその想像力を放棄しがちになる。そして、気遣いができなくなる。だから、余裕のない集団は、どんどん荒廃していく。

前にも言った、「常に余裕を持つ」ということは、この点からも極めて大事であることがわかる。

 

 これからの時代には、「臨機応変」に様々な「試行錯誤」を繰り返しながらも、「自分の頭で考え行動できる」ことが絶対の必要条件となる。来年度の自分の判断、振る舞い、行動で、ぜひとも実践してもらえればと思います。

 4月8日、また元気で会いましょう。

 

第73回卒業証書授与式式辞

 永い冬も終わりを迎え、やわらかな春の日差しのもと、早くも桜の開花する季節となりました。この春のよき日に、埼玉県立浦和高等学校第73回卒業証書授与式を挙行できますことを、心より嬉しく思います。

 

 356名の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。卒業生並びに保護者の皆様に心よりお祝いを申し上げます。新型コロナウイルス・パンデミックにより、本日保護者の皆様にはご臨席いただくことができませんでしたが、皆さんの卒業を何よりも喜んでくれていることでしょう。

 

 さて、ちょうど十年前の3月11日、日本は東日本大震災に見舞われました。十年ひと昔とはいえ、被災をされた方々の生活がすべて日常に戻ったわけではありませんし、心に残った爪痕はそうそう癒えるものではありません。震災からの完全復興への道のりは、まだまだ道半ばです。私たちはこの震災を決して忘れることなく、防災意識の更なる醸成や危機管理体制の整備はもちろん、人と人とのつながりの大切さとその暖かみ、共助の意識など、この震災から得た様々な教訓をこれからの世の中に活かしていかなければなりません。

 

 そして今、世界は新型コロナウイルス・パンデミックに見舞われています。世界がまさにつながっていることを改めて誰もが実感させられました。新型ウイルスの発生という自然現象に端を発して、一人一人の行動を介して世界全体に感染が拡大するという社会現象が起きました。震災と同様に自然の脅威を再認識させられる事態であり、一人一人がグローバルな社会での責任を自覚することを迫られています。皆さんのこの一年余りの浦高生活も、大きな制約が課せられたことで一変しました。持って行き場のない不安や苛立ち、ストレスなどへの対処に苦労したことと思います。

 

 思えば、皆さんは入学早々の応援団による校歌指導に度肝を抜かれ、そのわずか一ヶ月後には中学生には未知の領域である10kmという距離に挑む新入生歓迎マラソンの洗礼を受けました。授業のレベルの高さとスピードに食らいつきつつ、部活動で身体が悲鳴を上げる毎日を過ごした人も多数いたことでしょう。体育祭、そして弓ヶ浜での臨海学校を経験し、夏休みを迎えたあたりでやっと浦高生らしくなってきた自分を感じはじめたのではないかと思います。そんな姿を見た保護者の皆様は、我が子が確実に成長していることを実感されたことでしょう。その後も、文化祭、各種スポーツ大会、文化大会、そして強歩大会、修学旅行と、様々な行事を楽しみつつ、2年次の終わり近くまで浦高生活を存分に満喫したことと思います。だから、パンデミックによる突然の臨時休校が長く続いても、制約のある中での生活規律や学習を自分の力で何とかやろうとし、事実、皆さんは立派にやり通してみせた。この一年は、すっきりしない未消化のままのようなモヤモヤ感が残ったことだろう。でも、皆さんは自分で立派に対処した。その力が皆さんには備わっているということです。だから、パンデミックの先行きはまだまだ不透明ですし、パンデミック収束後の21世紀がどのような世界になるのかも全くわかりませんが、それでも何とかなる、何とでもできるという強い気持ちを、ぜひ忘れないでほしい。

 

 浦高の先輩である佐藤優氏は、最近の著書で「新型コロナウイルスの全世界的流行によって20世紀の残滓は消え、2020年から本当の21世紀が始まった、というのが私の作業仮説」であるとしたうえで、「新しい世紀において、新自由主義が世界を覆いつくすのか、そんなグローバリズムへの反動が来るのか、あるいはヨーロッパで先行して見られる環境ファシズムみたいな運動が力を持つのか、もしくは全然違った勢力地図が出来上がるのか、そこはわからない。そんな海図なき時代こそが新しい世紀の特徴なのかもしれない。」と述べています。

 

 今という時代は、気候変動など地球自然環境の急激な変化や、少子高齢化、地域間格差などの深刻化とともに、AIをはじめとするデジタル革命とグローバル化が並行して急激に進行するという、まさに「激動の時代」であると同時に、本当の21世紀が始まる転換点でもあるようです。

 

 そんな時代に浦高から次なるステップへと踏み出す皆さんに、私からの最後のメッセージを贈りたいと思います。

 「知は力なり」などの名言を残したフランシス・ベーコンは、「高みに上る人は、皆螺旋階段を使う」という言葉も残しているそうです。世の中を見渡すと、経済性と効率ばかりが優先される傾向が見られます。いかに無駄なく、効率よく、最短距離を狙って結果を出すか。リスクを取らず、労力もかけず、楽して成果を上げるか。そのことが重視される傾向が強まっています。でも、それでは優れた人材は育たないし、真に価値ある優れたアイデアも生まれない。人が成長する上でも、普遍的な価値ある成果を生み出す上でも、成長や発展・進歩に至るまでには、様々な視点からの思考とアプローチ、たくさんのチャレンジと失敗、多様な学びと研究、検討が必要なことは明らかです。知的にも精神的にも、高みに上るためには、その土台となるすそ野を広くしておくことも必要です。一歩一歩確実に螺旋階段を上っていってこそ、高みに上ることができるというわけです。

 ノーベル化学賞を受賞された白川英樹博士が、受賞当時よく話されていた「セレンディピティ」にしても、もちろん単なる偶然ではありません。価値ある偶然がおこったときに、その価値に気づき、価値を見出すことができたからこそ、その幸運を手に入れることができるわけです。それまでにたくさんの経験と努力を積み重ね、そして自分を信じ、物事に打ち込んだ人だからこそ、結果として適切な判断力や感性によって幸運をつかみ取ることができるわけです。

 

 そのことをぜひ心に留めて、浦高から次のステップ、つまり大学では、とにかく真の「教養」の獲得と「人格」に磨きをかけてほしい。具体的には、学問に取り組む姿勢をしっかりと身に付けておくこと、そして大学という場で学問への探究心に更なる磨きをかけることに力を尽くしてほしい。大学生のうちに「とことん」やり抜いてみる経験が大切だということも覚えておいてほしい。「そこそこ」の経験を積みあげても、それだけではきっとあとで後悔する。これと決めた事には果敢にチャレンジして、ときには砕け散ることがあってもそこからまた立ち上がって、やり抜いてみることが大事です。そうやって身に付けていく自信や自負心が、その後の人生を生きていく上で必ずや大きな力になる。そのことを覚えておいてください。

 

 最後にもう一つ。今年の大河ドラマの主人公にして新一万円券の顔となる、埼玉ゆかりの三偉人のひとり、渋沢栄一が残した言葉に、「交際の奥の手は至誠である。理にかない調和がとれていればひとりでにうまくいく。」というのがあります。キーワードは「至誠」、つまり「誠実」であることです。

 物事に打ち込むうちには、失敗や挫折もある。迷うことも、悩むことも、落ち込むことも当然ある。高みに上るための螺旋階段の途中で、辞めたくなることもある。道を踏み外しそうになることも度々あるだろう。でも、「誠実」でさえあれば、物事はいずれ必ずや自然と上手くいくものである。そう信じて、ぜひ自らが望む高みを目指してもらえればと思います。

 

 最後になりますが、オンラインでご覧の保護者の皆様におかれましては、ご子息のご卒業、誠におめでとうございます。重ねてお慶びを申し上げます。三年間の浦高生活を全うし、心身ともに大きく成長したタフで優しい卒業生諸君の姿を前にして、とても頼もしく思います。

 この三年間、本校の教育活動につきまして格別のご支援とご協力をいただき、誠にありがとうございました。できますれば、今後とも浦高に対する変わらぬご支援を賜りますよう、お願い申し上げます。

 

 結びに、第73回の卒業生全員が、世界のどこかを支えるべく前途洋々たる人生を歩み、広き宇内に雄飛せんことを心より期待して、私の式辞といたします。

 

令和三年三月十七日

埼玉県立浦和高等学校長 水石明彦

 

3学期始業式

 新年を迎え、3学期がスタートしました。

 新型コロナウイルス・パンデミックによる感染拡大がここにきて再びひっ迫した状況となり、埼玉県を含む一都三県には明日にも政府から緊急事態宣言が発出される見通しとの報道がなされています。本校では、すでに今日から始業を一時間遅らせる措置を取っていますが、いずれにしてもまだまだ感染防止のために各個人一人一人が我慢すべきことは我慢し、できることをしっかりやっていくことが求められます。 

 

 さて、今年は丑年です。「牛」は古くから人々を助けてくれる大切な生き物で、大変な作業を最後までこなす働きぶりから、丑年は「我慢」を表す年とも言われているそうで、このことから、丑年には先を急がず目の前のことを着実に進めることが、将来の成功につながっていくとされているのだそうです。

 そこで、今日は「丑年には先を急がず目の前のことを着実に進めることが、将来の成功につながっていく」というところに注目してみたい。

 

 年末に、同期の仲間4人が雑誌の取材で訪れてくれました。それぞれ、バスケットボール部、サッカー部、ソフトテニス部、数学部のOBで、卒業以来の浦高への訪問とのことでしたが、4人とも今や各界を牽引する4人である。その彼らが、浦高で大事なこととして次のようなことを言っていました。

 「『志』は高く持ち、自分で考える力とセルフマネジメント力を磨くべきだ。」

 それから、後輩である君たちへのメッセージとして次のようなことを言ってくれました。

 「浦高生は口に出さなくても胸に秘めたものを持っている。それを大事にしてほしい。」

 「やることにはベストを尽くせ。そして、今しかできないことをやれ。」

 「何をやっても何とかなると思ってよい。卒業してからもしばらくはいろいろあるかもしれない。それでも、それなりの年になる頃には、皆それぞれの世界で立派に活躍している。そういうものだ。浦高生なら大丈夫だ。そう思って、自信をもってチャレンジしてほしい。」

 

 直近のではないが、以前見た卒業生アンケートで、浦高生活に満足していないと答えた卒業生の理由のほぼすべてが、浦高生活に積極的に送ることをしなかったから、あるいは送れなかったから。もっと思い切り楽しんでしまえばよかった、という内容だったと記憶しています。

 3年次生は、受験間近となってきました。コロナ禍での準備で当初の想定からは変更を迫られたかもしれないし、精神的にきつい部分もあるでしょう。でも、その中でベストを尽くす経験が、君たちを将来成功に導くはずである。今は、自分を信じてやるのみである。

 1・2年次生も、まだまだ制約のある中での浦高生活となるかもしれない。でもこの環境の中で自分をコントロールしてみる。自分でやると決めて、ベストを尽くしてみる。やってみてうまくいかないときには、軌道修正すればいい。文字通り、「試行錯誤」の格好の機会が得られたのかもしれない。

 

 卒業までの浦高生活に、自分なりにベストを尽くそう。「余裕」を持て、そして「試行錯誤」せよ、である。