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2022年3月の記事一覧

第三学期終業式

 令和三年度も、今日で終わりを迎えます。

 振り返れば、今年度も一年を通してパンデミックによる制約を受け続けました。したがって、君たちには未だに制約のない浦高生活を経験してもえらえずにいます。ただ、それでも今年度は臨海学校、強歩大会、修学旅行、体育祭、文化祭と、制限はあってもかなりの行事を経験してもらいました。なので、これで浦高の伝統行事も何とか君たちに継承してもらえると思っています。さすがに丸二年を過ぎて、そろそろこれからの日常の姿が見えてくる頃です。来年度は、コロナ以前と全く同じとはいかないまでも、ほぼ日常の浦高生活を満喫してもらえるのではないかと期待しています。

 

 さて、毎年この時期は、大学入試の結果にメディアの関心が高まりますが、三年次生は東大をはじめ、京大、東工、一橋、東北、更には医学部等々、多くの大学への合格を決めました。全体として、とてもよくやったと思います。もちろん、あと一歩届かなかった生徒も多数いました。本気で勝負した分、本当に悔しい思いをしたはずです。でも、その経験がその人を強くし、次のチャレンジへと向かうバネになる。そういうものです。

 その三年次生も、先日立派に卒業していきました。4月からは新たな新入生を迎え、君たちに浦高生活をリードしてもらうことになります。

 

 思うに、時代とともに浦高を取り巻く環境や、世の中の進学校への見方が変わってきています。OBは昔と今を比較してあれこれいうかも知れないが、何もかもが昔のままがいいわけがない。ただ、これが肝心なことだが、浦高は地方の伝統ある進学トップ校として、本来の在るべき姿をブレることなく追い求めている、全国でも数少ない凄い高校です。君たちが、高校選択をしたときには、その凄さなど全くわからずに選んだのだろうが、浦高を選んで大正解です。きっと、卒業までにはその凄さが少しはわかってもらえると思う。全国広しと言えども、今ではこんな高校はそうそうありません。

 

  そこで、年度末にあたり、浦高生の在るべき姿について確認しておこうと思います。

  まずは、先ほど言った大学入試の結果について。74回生が、あるいは昨年の73回生が、このパンデミックの中でこのような結果を出せた理由は何か。世間はいろいろ言うが、端的に言えば、普段なら期待できるサポートやサービスが十分受けられない状況でも、自分の力で受験準備ができたから。様々な制約が続いても、メンタル面を含めセルフコントロールがしっかりできたから。それが最大の要因だといって間違いないと思う。自分で何とかする術を身に付けていることが難関大学での結果に直結した。これがまずひとつ。

 

 ふたつめ。大前提として、浦高には校則がない。校則がないということは、君たちの振る舞いを原則規制しないということだが、それはなぜか。それは、規制しなくても、概ね自分で適切に判断行動ができるのが浦高生だからです。自分で考えることができる、自分の好きにさせてほしいと思う。そういった自主的、自立的な精神と、それを実践するための基本的スキルが身に付いているのが浦高生、ということです。しかも、入学時点ですでにそうなっているはずだから、浦高には校則がない。

 ただ、今は、子供を取り巻く環境がよくない。というか、よすぎる、恵まれすぎているといった方が正解かもしれません。しばらく前までであれば、高校生にもなると、自分の身の回りのことは自分がしなければ誰もしてはくれませんでした。しつけと言われるようなことは、中学校までで終わりでした。興味あることは、本を読んで知識や知恵を自分のものにしたし、スポーツも、多くは自分たちで工夫して、遊びや練習の中で力をつけた。勉強の仕方だって、当然自分で工夫して自然に身に付けた。知的好奇心やわからないことへの対処法だって、誰でも中学までには大方身に付けていました。

 ところが、今は何でも面倒を見てもらえる世の中になりました。何かに頼ってお願いすれば、大概は何とかしてもらえる。でも、それを繰り返すうちに、自分で考えて判断行動するのではなく、何かに頼って言われた通りにやるという思考になる。そうなると、依存心ばかりが膨らんで、結局自分自身に本来の力がつかなくなる。そんな環境が、今の君たちの周りにはある。

 

 そんな実態が新入生にはあるから、浦高もその現実を踏まえ、一年次ではまずやり方を教えるし、課題を課したり、小テスト、再テストをやるようになっている。君たちに、浦高生としての基本を身に付けてもらうに必要な基本、つまり「基本の基本」がないから、でもそうやって浦高生活に絶対に必要な「基本の基本」がないままだと君たちが困るから、だからやっている。この浦高生の前提となる基本が身に付いていなければ、浦高生活での実践も応用もないことくらいは君たちもわかるだろう。本来の浦高生活とは、この「基本の基本」を土台として、浦高生になってから身に付ける「基本」を積み上げる生活を指す。だが、今の君たちは、「基本の基本」と、浦高生になってから身に付ける「基本」とを、両方同時に身に付けることになるから忙しい。そのかわり、これらの「基本」を身に付ければ、これまでの浦高OBと同じように、自分で何とでもできる地力を、君たちは手に入れたことになる。

 そして、この浦高生としての「基本」が身に付いてさえいれば、たとえ今の成績が振るわなくても、その後その気にさえなれば何とでもなる。でも、小手先で取り繕ってそこそこの成績をとっても、浦高生としての「基本」が身に付いていなければ、その後の伸びは期待できない。

 本来、勉強でどの教科をどれくらいどうやるかは、君たちに任されている。一日をどう使うかも、どの教科に時間をかけるかも、君たち自身の責任で決めるべきことだ。勉強は、課題があるからやるのではなく、自分でやろうと決めてやるものだ。そうならないと、本当の意味での力がつかない。だから、君たち全員に、一日も早くそうなってもらうことを願いつつ、先生たちは課題を課してきた。

 

 勉強でも、部活動でも、趣味でも、言われた通りにやっているうちは、うまくなるのも、強くなるのも、力がつくのも、たかが知れている。そうではなくて、自分で考えて、自ら進んでやるからこそうまくなるし、伸びるし、目標も達成できる。浦高生が毎年大学入試で立派な結果を出せるのは、そういうことです。

 だから、君たちも一日も早く自分でできるようになって、自分の好きにやり始めたまえ。自分の判断で、時間を有効に活用したらいい。例えば、浦高の授業は、生徒と先生の真剣勝負の場だとよく言われる。それは、君たち生徒の立場で言えば、いい刺激を受ける場として、自分の学びをチェックする場として、学習のペースメーカーとして、積極的に活用するものであって、やらされたり、何とかしてもらおうと頼ったりするものでは決してない。

 そのことを、肝に銘じて、来年度は新入生に本当の浦高生活を満喫する君たちの姿を見せつけてやって欲しい。このことを、強くお願いしておく。

 

 浦高生というのは、卒業後は自分で何とかできる、何とでもなるという、密かな自負と自信をもって卒業していくものです。君たちにも、ぜひともそのような密かな自負と自信をもって、卒業してもらうことを心から願っています。そのためにも、年度の変わるこの時期に一度自分をしっかり見つめ直し、気分一新新年度を迎えてほしいと思います。

 

 4月になれば、新入生に君たちが背中を見せることになります。浦高生として、その在るべき姿を体現してくれることを心から願って、終業式での浦高校長としての私の最後の話を終わります。

 

第74回卒業証書授与式

 寒かった冬も終わりを迎え、やわらかな春の日差しのもと、早くも桜の開花する季節となりました。この春のよき日に、保護者の皆様のご臨席を賜り、埼玉県立浦和高等学校 第七十四回卒業証書授与式を挙行できますことを、心より嬉しく思います。 

 

 351名の卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。卒業生並びに保護者の皆様に心よりお祝いを申し上げます。

 

 皆さんはこの二年間、新型コロナウイルス・パンデミックによる様々な制約が課された中での浦高生活を余儀なくされました。当たり前に享受していたことが、実は当たり前ではなかったことを痛感し、世界中の人々が持って行き場のないものへの対処に苦慮し続けています。人類がこれまで築き上げてきた人間社会や地球環境が、新型ウイルスひとつでその脆弱さを露呈することとなりました。社会の発展とともに、欲望や欲求を満たすべく様々なものを作り上げ、地球環境を我がもの顔で改変し続けてきた人類が、これから地球環境とどのように共生していくのか、大きな課題を突き付けられています。

 さらに、ここにきてロシアによるウクライナ侵攻という、国際秩序を揺るがすたいへんな事態が起こりました。世界のこれからにとって、そして日本にとっても、極めて深刻な事態です。

 

 でも、このような状況のなか、ただただ悲観していても仕方がありません。自らが担うであろうこれからの世界を、輝きのあるより良いものになるように、皆さんには将来への期待と希望を持って、これからのキャリアをスタートさせてもらわなければなりません。

 これまで前例のないパンデミックにより、皆さんの浦高生活はイレギュラーなものとなりました。でも、皆さんは自らをコントロールし、仲間とともに切磋琢磨しながら立派によくやった、やり抜いたと思います。三年次での修学旅行と北川辺をゴールとする強歩大会を両方経験した唯一の年次として、浦高の長い歴史の中でも高七十四回は記憶に残る特別な代です。その意味でも、この貴重にして得難い経験を、今後のキャリアに活かさない手はありません。浦高で鍛えた知力、体力、精神力は、必ずや皆さんの強みとなるはずです。

 

 浦高では皆さんに、世界のどこかを支えるリーダーとなってもらうべく、知性あふれるタフで優しい大人へと成長を遂げてもらう環境を用意し、励ましてきました。ここでいう「タフさ」や「優しさ」は、「レジリエンス」や「共感力」と言ってもいいものです。 

 しかし、浦高を一歩出れば、今の世の中の傾向として、リスクを回避して労せず結果を求める風潮、長期的な視野で思考・判断する余裕を持たず、短期的な成果や結果ばかりを追い求める風潮が強まっています。寄り道することを良しとせず、最短距離で効率ばかりを優先する思考に陥っているようにも見えます。他人のことを過度に気にする世間の同調圧力も、依然強いものがあります。悪く言えば、自己判断なく多数派について勝ち馬に乗ろうとする、打算的で日和見的な空気感です。

 また、SNSの世界でも実生活でも、グローバル化とデジタル化の進展により、世界は大きく広がりました。でも、広がったがために人々の視野は狭まり、同じ意見の者同士でコミュニケーションを繰り返して特定の信念が強化されるという、いわゆるエコーチェンバー現象も顕在化してきています。フェイクニュースなる言葉が一般化したことなどはその典型であり、まさに画一化傾向です。

 

 人類はSociety 5.0の時代を迎える日も近いとされますが、先を見通すことが困難な、不確定で予測不能な社会の到来でもあります。そんなこれからの社会だからこそ、新たなイノベーションを起こし得る社会をつくっていかなければなりません。国でも、そのためには多様性が不可欠であり、新たな破壊的なイノベーションを起こす個人を許容しないような現状からは速やかに脱却しなければならない、という強い課題意識を持っています。 

 さて。ここでキーワードになるのが「多様性」です。「失敗の科学」の著者で知られるマシュー・サイド氏の最新刊によれば、多様性というとこれまで人権問題や倫理的な問題として語られることがほとんどですが、それのみならずこれからの時代に必要となる新たなイノベーションを起こす要因としても、今や多様性が極めて重要であることが認識されています。現代社会がますます複雑化し、様々な難題に個人で挑むには問題が複雑すぎて対処しきれなくなっている。研究分野でもビジネス分野でも、人間の創作活動において最も顕著に見られるトレンドは、個人からチームへのシフトだというわけです。

 

 浦高は開校以来、全人教育、教養主義を標榜し実践し続けてきていますが、それは世界のどこかを支えるリーダーにとって、それが必要不可欠だからです。東京大学元総長の濱田純一氏の当時のことばを借りれば、教養というのは時間や空間を超えた多様な知識・知恵のことです。それらを自分の中に取り込んでいく過程で、自身の知識が増えたり、あるいはこれまでの自身の考え方の見直しを迫られたりするわけです。また、さまざまな経験を通して、多様な状況に対応することができる力が身に付いていくわけです。多様な考え、多様な状況をまずは受け入れ、それを取り入れたり、自らの考えを修正したりしていく。教養を育むには多様性が必要不可欠なのです。

 

 そこで、皆さんには多様性に関連して、ふたつアドバイスをしたい。

 浦高で育んだ教養は、まだまだ十分なものではない。これからのキャリアで、ぜひとも更に深く教養を磨き上げてほしい。タフさにも、更なる磨きをかけてほしい。これがひとつめです。タフさとは、どのような状況の中でも主体的に考えて能動的に行動していくことを持続できる力だと言われます。「能動的に」、「持続できる」、といった力は、学問をするときはもちろん、現在のような状況においては、とりわけ必要な力です。

 それでも、自分ひとりの持つ知識だけでは、複雑な課題には太刀打ちできないでしょう。だから、個人ではなくチームだといわれるわけです。ただ、そのチームも多様性に富んだ集団であることが必要で、多様なメンバーが互いを尊重してきちんとコミュニケーションをとり、互いの反論を受け入れ、他者から学び、協力し合えなければなりません。そして、既知のアイデアに触れ、新たなアイデアをひらめき、他のものとの融合が図られる環境が必要です。さらに、それを互いに共有してこそ、新たなイノベーションへとつながるアイデアや技術が生まれるということです。そしてリーダーは、賢明な判断には集団の知恵が欠かせないことがわかり、メンバーの声によく耳を傾け、進んで情報を共有し、集団の知恵を結集することができる、そういう強さと共感力が求められます。

 多様な考えに耳を傾ける、反論を受け入れる、集団の知恵を結集する。頭では理解したつもりでも、その実践には相当の強さと共感力が求められることは想像がつくでしょう。ですから皆さんには、これから先もこの「強さ」と「共感力」とを磨き続けてもらいたい。これがふたつめです。

 

 地球環境、国際情勢といった複雑な現代社会の課題解決の糸口を探りつつ、Society5.0の時代という未知なる未来の到来にあたり、皆さんが浦高で培った力を頼りに、世界のどこかでその世界を支えるリーダーとして活躍してくれることを強く願います。

 

 そして、そのときのためにもうひとつ。皆さんには浦高同窓生であることを生涯にわたり心に留めておいて欲しい。自慢することではないし、人に言う必要もない。でも、先ほども言ったように、浦高で鍛えた知力、体力、精神力は、必ずや皆さんの強みとなる。そのことに、密かな自信は持っておいて欲しい。そして、これからのキャリアで、どこへ行っても何かのときには頼りになる浦高同窓生がきっと近くにいる。そのことも覚えておいて欲しい。

 先日、浦高同窓会の事務局に寄せられた、ある同窓生のエピソードです。

 その方は、卒業後に同窓生との交流はほとんどなかったものの、浦高同窓生であることには誇りを持っておられたそうです。昨年、体に異変を感じ、しばらくして病院で重い難病であることが判明します。今年に入って訪問診療も受け始めたそうですが、そのときに訪問診療の医師と病院の主治医がともに浦高同窓生であることを知り、驚きかつ嬉しさでいっぱいになったそうです。

 こう綴っておられます。

 病院の主治医と訪問診療を行ってくださるクリニック院長という、これからもっとも頼りとする最重要な二人が、時期は違いますが同じく領家でまぶしい青春時代を送った後輩にあたるなんて。埼玉ではない地で、こんな出会いがあるなんて。まさかこんな偶然が重なるなんて。とても不思議な感じを受けるとともに、自然と涙があふれてきました。そして、母校が浦高でなかったとしたら、仮に同じような偶然に出くわしてもこれほどの感激と安心感はなかったであろうと確信しました。

 病気になったことで、本来は会える可能性がゼロに近かったとても優秀な浦高の後輩たち、医療の世界で患者を想い、一生懸命尽力されておられるお二人に出会うことができ、そのご活躍をこれからまさに最前線で見届けることができる。二人の強い味方を得たことで、これからの闘病生活に張りが出ることは間違いありません。この出来事をなんと表現したら良いのでしょう。うまい言葉が見つかりませんが、強いて名付ければ「母校がつないだ運命の糸」とでも申しましょうか。この糸に感謝し、素晴らしい後輩達の助けを借りながら闘病を頑張り、残りの人生を精一杯謳歌していきたいと思います。

 この方の病が、軽快されることを願うばかりです。この領家の地で浦高生活を過ごした浦高同窓生は、それこそ世界のいたるところで、その世界を支えるリーダーとして活躍しています。皆さんにも、将来、何らかの形で世代を超えて浦高同窓生と交わる機会がきっと来るでしょう。そして、その出会いが皆さんにとっても、皆さんの周りの方々にとっても、必ずや幸せにつながることでしょう。

 繰り返しますが、皆さんには浦高同窓生であることを、そして皆さんの周りにはたくさんの浦高同窓生という仲間がいることを忘れずに覚えておいてください。

 

 最後になりますが、保護者の皆様におかれましては、ご子息のご卒業、誠におめでとうございます。重ねてお慶びを申し上げます。三年間の浦高生活を全うし、心身ともに大きく成長したタフで優しい卒業生諸君の姿を前にして、とても頼もしく思います。

 この三年間、本校の教育活動に格別のご支援とご協力をいただき、誠にありがとうございました。できますれば、今後とも浦高に対する変わらぬご支援を賜りますよう、お願い申し上げます。

 

 結びに、第七十四回の卒業生全員が、世界のどこかを支えるべく前途洋々たる人生を歩み、広き宇内に雄飛せんことを心より期待して、私の式辞といたします。

 

令和四年三月十六日

埼玉県立浦和高等学校長 水石明彦